たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

『アクロイド殺し』と『方舟』と『爆弾』

 『アクロイド殺し』と『方舟』と『爆弾』を読んだ。いずれもミステリー小説である。

 以下、ネタバレを辞さないので未読の方は注意していただきたい。

 

 『アクロイド殺し』はミステリィの女王アガサ・クリスティの傑作。

 ある晩、田舎の富豪アクロイドが自宅で刺殺された。同日から彼の義理の息子ラルフが姿を消す。アクロイドの義理の姪フローラは、名探偵ポアロにラルフの潔白を証明するよう依頼する。

 

 『方舟』は夕木春央の小説。

 9人の青年たちが山奥の地下施設に閉じ込められた。彼らが脱出するには誰か一人を犠牲にしなければならない。水没していく施設。残された時間は少ない。そんな最中に殺人事件が発生する。

 

 『爆弾』は呉勝浩の小説。

 軽犯罪で逮捕された男スズキタゴサクが、取調べ中、不意に爆破事件を予言する。予言のとおりに事件は発生し、タゴサクはさらなる事件の発生を告げる。

 

 ミステリーにおいて重要な役が四つ存在する。

  • 名探偵
  • 助手
  • 犯人
  • 無能な警察

 そして、ミステリーにおいては、名探偵と犯人の距離が面白さに密接に関わってくる。安楽椅子探偵を除いて、距離は非常に近くなければならない。

(なんか偉そうに語っているが、私はミステリー小説をそこまで読んでいないので話半分に読んでいただきたい。)

 

 まず、『アクロイド殺し』では名探偵はエルキュール・ポアロである。そして、失踪したラルフをアクロイド殺しの容疑者として追いかける警察は、お約束どおり無能を演じる羽目になっている。

 では犯人は誰なのかという話だが、その前に、『アクロイド殺し』はクローズドサークルではない。つまり、アクロイドの館には誰もが侵入できたため、容疑者を絞ることは難しい。ここでアガサ・クリスティはその時間に現場付近にいた正体不明の男を登場させ、もし館の外の人物が犯行に及んだとすればこいつが犯人であるという人物を用意する。これによって、犯人の候補は擬似的に限定されることになる。

 クリスティはアクロイドの館にいた7人の人物とラルフ、謎の男の9人を犯人候補として読者へ提示する。それぞれの怪しさはおおむね均等であり、誰が犯人であってもおかしくない。まあ、無能な警察に容疑をかけられるラルフと謎の男は犯人ではないだろうと予測は立つだろうが……。怪しさは犯行が可能であったことのほかに、アクロイドの死によって得た利益と、不審な言動によって醸し出される。ちなみに、利益の大きさは、客観的な数値ではなく、利益の受け手がそれをどのくらい必要としていたかで決まる。

 さて、ここで重要なのは「誰が犯人だったら面白いだろうか?」という問いである。もし怪しさが均等でなければ、最も怪しくない人物が犯人であるのが一番面白い。だが、今回は誰もが均等に怪しいのだ。

 ミステリーの面白さを決定づけるのは名探偵と犯人の距離だ。これらの人物の中でエルキュール・ポアロに最も近い人物は誰だろうか?

 それは名探偵の助手。物語の語り手だ。かくして、『アクロイド殺し』では叙述トリックが用いられることとなる。

 犯人が用いたトリックはシンプルだ。音を使ったアリバイ工作が二つ。ところが、各々の登場人物が別の思惑で偽装工作を重ねていく。それによって事件は複雑化していく。さらに、クリスティは、金銭トラブルや色恋沙汰や下衆な噂話といった、謎以外の面白みを小説に与えているところも決して忘れてはならない。

 

 対して、『方舟』はクローズドサークルだ。犯人候補は最初から限定されている。

 特徴的なのは、時間制限があること、そしてなによりも登場人物が脱出するためには誰かが犠牲にならなければならないという設定だろう。

 犯人にとって殺人は百害あって一利なしのはず。なのに、なぜ犯人は殺人の罪を犯したのか?

 限定的な状況もあってか、『アクロイド殺し』に比べると謎以外の面白みが薄い。これは容疑者の描写の濃淡(≒名探偵との距離)に関わってくるので、結果として犯人はバレバレになる。だが、その欠点を補ってあまりあるほどに、この謎は強力だ。謎は「なぜ犯人は殺人の罪を犯したのか?」だから、「誰が殺したのか」はさして重要でもない。

 実は最も重要なのは、無能な警察が登場しないことだ。見当違いの人物が疑われる場面がほぼ存在しない。……かのように見える。クライマックスまでは。

 この小説では最後の最後に、名探偵の推理が大外れであったことが明かされる。名探偵は「誰が殺したか」の正解は出せたが、「なぜ殺したか」の正解は出せなかった。

 『アクロイド殺し』では助手=犯人だったが、『方舟』では名探偵=無能な警察だったのだ。これがこの小説の最大の仕掛けである。

 

 『爆弾』も「なぜ罪を犯すのか」を謎として提示する小説(ホワイダニット)だ。犯人は最初からほぼ明らかにされている。表面上は「スズキタゴサクは次にどこを狙うか?」を巡ってストーリーは進むが、読者にとって重要なのはあくまで「スズキタゴサクと過去に自殺した刑事の関係性は?」という謎だ。

 そして、この小説もやはり名探偵と犯人の距離が非常に近い。なんせずっと取調室の中で対峙しているのだから。作者の筆力が問われるに違いないが、名探偵と犯人が顔を突き合わせて話す場面の緊迫感がこの小説の肝だ。

 また、無能な警察VS犯人を経て、名探偵VS犯人へと移行するのもセオリーどおり。

 では、この小説の特徴がどこにあるかというと、名探偵が安楽椅子探偵であることだ。事件現場に赴かず話を聞いただけで事件を解決してしまう安楽椅子探偵は、犯人との距離が遠いのが通常だ。代わりに、安楽椅子探偵の手足となって動く助手が犯人に接近する。だが、この小説ではそれが逆転している。助手は現場へ赴き犯人から離れ、名探偵は取調室から出ることなく犯人と対峙している。

 

 というわけで、セオリーを踏襲しながら、セオリーから外れる。これが名作の秘訣だ。

 そして、セオリーとは

  • 名探偵
  • 助手
  • 犯人
  • 無能な警察

の四人を用意することと、名探偵と犯人の距離は極端なものにすることである。トリックは必須要素ではないというところがミソだ。