たぬきのためふんば

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アメリカ映画ベスト100制覇への道:その98 白雪姫

 お姫様が母に殺されます。

 

 『白雪姫』は1937年の映画。監督はデイヴィッド・ハンド、脚本はテッド・シアーズ、オットー・イングランダー、アール・ハード、ドロシー・アン・ブランク、リチャード・クリードン、メリル・デ・マリス、ディック・リカード、ウェッブ・スミス。

 

 白雪姫の話の流れを簡単にまとめると以下のようになる。

  1. 白雪姫が城から追放される。
  2. 白雪姫と小人が交流をする。
  3. 女王が白雪姫を殺す。
  4. 白雪姫が復活する。

 復活は物語において重要な要素のような気がする。世界ナンバーワンヒット小説である新約聖書はキリストの復活をクライマックスに配置している。古事記ギリシア神話でも復活を試みて失敗する話がある。(キリスト教との類似性で言えば、迫害を受けていた者が死ぬという点も重要かもしれない。)

 死んだ人が蘇るという希望は(たとえそれが失敗に終わったとしても)感動を呼ぶのだ。白雪姫は王子様のキスによって復活するが、その描写はすごくあっさりしている。ふらっとやってきた王子様が特に振りもなくキスして蘇る。復活する理由なんてのはなんでもよくて、復活することそれ自体に意味があるのだろう。

 復活することが重要なので、意地悪な継母も事故死というあっけない形で物語から排除される。復活した白雪姫の邪魔さえしなければ、その処遇はどうだってよいのだ。

 では小人たちとの交流パートがなんのために存在するかといえば、白雪姫の愛らしさを見せるためだ。白雪姫が死んだときに蘇ってほしいと思わせるために、観客へのアピールタイムを用意したというわけ。

 ここで白雪姫が何をやっているかといえば、母親の代わりである。小人たちの家を掃除し、料理を作り、手洗いの必要性を教える。悪しき母である女王と同じ轍を踏まずに、白雪姫は良き母になる。実は女王の存在が白雪姫の魅力を引き立たせているのだ。

 

 まあ、とはいえ、この映画がアメリカ映画ベスト100に入っている理由がそんなことじゃないのは明らかだ。『白雪姫』は、世界初の長編フルアニメーション映画。フルアニメーションとは一秒間の24コマすべてで絵が変化するアニメのこと。一般的な日本のアニメーションは24コマ中8コマだけが変化するリミテッド・アニメーション。

 ただ初めてというだけではない。その作画クオリティは今の水準から見ても極めて高い。「『鬼滅の刃』と『白雪姫』、どっちの作画がすごい?」と問われたら、自分なら『白雪姫』の方が上だと答える。『白雪姫』の制作にかかった期間は4年。実写なら数ヶ月で撮れることを考えると、長編アニメーション映画を撮ろうという試みは正気の沙汰ではない。

 幸い、『白雪姫』は大当たりをし、製作費の何倍にもなる興行収入を記録した。もしディズニーの挑戦が失敗に終わっていたら、アニメの発展はもっと遅れていたかもしれない。いくばくかの勝算を持って誰もやったことのないことに挑むことが時代を切り開くのだ。

 とはいえ、(エンターテイメント全般に言えるが)アニメには当たり外れがある。ディズニーとて例外ではない。このあと『ピノキオ』や『ファンタジア』で赤字を出して『ダンボ』で黒字を出したり……という紆余曲折を経た後には長い低迷期が待っていた。『白雪姫』から50年以上も経って、『リトル・マーメイド』と『美女の野獣』に至り、ディズニーはようやく復活を遂げるのである。(ということにしておく。)