たぬきのためふんば

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アメリカ映画ベスト100制覇への道:その75 キャバレー

 1930年代のベルリンにて、イギリスの学生がキャバレーの歌手とひとつ屋根の下暮らすことになる。

 

 『キャバレー』は1972年の映画。監督はボブ・フォッシー、脚本はジェイ・アレン。主演はライザ・ミネリマイケル・ヨークアカデミー賞は監督賞・主演女優賞・助演男優賞・撮影賞・編集賞・作曲賞・美術賞・録音賞を受賞。

 

 イケメンと美女が出会ったら、それはもう恋のはじまり。というわけで、『キャバレー』はラブストーリーだ。

 ラブストーリーはしばしば、二つの生命体が巡り合うその生息環境を描くことに主眼が置かれる。タイタニック』しかり『ウエスト・サイド物語』しかり。『キャバレー』もそんな作品の一つかもしれない。

 『キャバレー』の主な面白ポイントは、やはりタイトルにもなっているキャバレーで働いている人々を描いていることにある。そこには様々なマイノリティがいるだけでなく、ステージ上で光を浴びてさえいる。

 ヒロインのサリー・ボウルズもその一人だ。彼女はスターを夢見る歌手だが、身体を売る娼婦でもある。

 ラブストーリーでは一途さが尊ばれることが多い。一夫一婦制の社会では当然のことかもしれない。一途さを究極まで突き詰めると、童貞と処女にたどり着く。

 その点、サリーは真逆を行く存在だ。それなのに、なぜサリーは魅力的なのか?

 「一途である」を嫌な感じに言い換えると「死ぬまで添い遂げられると確信した相手以外は全て拒絶する」である。自分が運良く対象になれればいいが、そうでなければちょっとショックだ。

 これを裏返すとサリーの魅力になる。サリーには「こんな自分でも受け入れてくれるんじゃないか」感がある。主人公のブライアンはイギリスの良い大学に籍を置くイケメンだが、女性で勃ったことがない。当時のイギリスにおいてこれは重罪なのだが、サリーは赦してくれる

 だが、恋愛において、これはリスクだ。だって彼女の赦しは自分にだけ向けられるものではないから。他の男にも彼女の愛は注がれてしまう。特にイケメンの金持ちが現れた日にはどうなることやら……。

 彼女のオープンなところが好きになったのに、クローズドな関係に彼女を閉じ込めたいという矛盾。結局、この矛盾が二人の関係を終わらせることになる。

 ラブストーリーが美しく輝くのは、愛と社会が対比関係にあるときだ。『キャバレー』と言うからにはフランスが舞台化と思いきや、意外にも舞台はドイツ。時は1930年代、ナチスが政権を握る前夜である。

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 初めてライザ・ミネリが動いているところを見た。ジュディ・ガーランドに瓜二つではないくゎ!(でも、じっくり写真を並べてみると、目元はヴィンセント・ミネリ譲りのようだ。)高校生の頃に『オズの魔法使い』と『若草の頃』でジュディ・ガーランドに魅了された私としては、なんだか感慨深いものがある。