たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

アメリカ映画ベスト100制覇への道:その37 アパートの鍵貸します

 自分の部屋をラブホテルとして上司に時間貸ししていた男は、片思いの相手が上司の不倫相手であることを知る。

 

 『アパートの鍵貸します』(原題The Apartment)は1960年の映画。監督はビリー・ワイルダー、主演はジャック・レモンシャーリー・マクレーンアカデミー賞は監督賞、作品賞、脚本賞美術賞編集賞を受賞。

 

 ハリウッド映画には男女の恋愛を描いたものが多い。巧みに作られた脚本は私たちを見事に感動させるが、心の奥深いところで私たち(いや、私)はあることを考えている。

「お前ら、モテすぎだろ……」

 たいていのラブストーリーにおいて、主人公たちは当たり前のように美女の心を射止める。ハリウッド映画の主役は美男美女揃いだから簡単に恋が実って当たり前なのかもしれない。

 だが、現実に生きる我々の世界はそんな風にできちゃいない。近場にいる可愛い女の子が気になるけれど、彼女の眼中に自分はいなくて、自分よりもっとイカした男と彼女がくっつくのを眺めて終わる。それがもてない男の人生ってもんだろう。

 アパートの鍵貸します』は、そんな惨めな男の物語だ。

 普段ネタバレに配慮することがないこのブログだが、私はこの映画が本当に大好きなので、まだ『アパートの鍵貸します』を観たことのない方は、ぜひ先に映画を観てほしい。以下ではネタバレをしまくる。

ロマンスには2種類ある

 この世には以下の2種類のラブストーリーがある。*1

 なんか上手いことを言おうとしてこんな分類になっているが、前者はこつこつ好感度を積み上げるタイプのラブストーリーだ。たいていのラブストーリーはこれだし、これまでラブストーリーについて語る時はこれを前提にしていた。たとえば、「出会いは最悪な第一印象から始まるパターンが多い。マイナスからプラスへの変化を描けるからだ。」みたいな話は、ラブが徐々に進展していくことを前提としている。最後に大きな飛躍を遂げるものの、ストーリーの方向性自体は一直線に二人がくっつく方向に進んでいく。

 ところが、これでは説明できない映画がある。たとえば、『お熱いのがお好き』では、主人公は大富豪のふりをすることでマリリン・モンローの心を掴むが、この時、主人公とモンローの関係性は一ミリも進展していないと言っていい。マリリン・モンローの中では、偽物の大富豪とのラブは盛り上がっているし、偽物の同僚との友情は築きつつあるが、素の主人公に対する思いはゼロだ。ラストで主人公が自分の正体を明かした時に初めて、二人の関係性は動き出す。

 それまでのストーリーによって積み上げた何かが全く無駄とは言わないまでも、何らかの転換がない限りそれが二人の関係性の発展に寄与することはない。これを走り高跳び型のラブストーリーと呼ぶことにする。これ系の映画を走り幅跳び型のラブストーリーと同じに考えると、仕組みの説明に窮する。第一印象はマイナスなのかプラスなのか? なんだかよく分からない。王道からあまりに逸れすぎて困惑してしまう。

 『アパートの鍵貸します』も走り高跳び型のラブストーリーだ。主人公がどれだけヒロインのことを気にかけても、彼女の眼中に彼はいない。ヒロインが上司に見切りをつけ、主人公のもとへ走り出すのは本当に最後の最後なのだ。

 まあだからなんだっちゅう話ではあるのだが、走り高跳び型のラブストーリーの場合、展開が最後まで読めないハラハラ感を作りやすいメリットがあるようには思う。ちなみに、最後の最後で恋の障害が取り払われるという展開自体は、両者に共通してありうる。どちらも最後になんらかの飛躍があることに変わりはなく、飛躍の方向性がそれまでの延長線上にあるか、それとも90°違う方向にあるかの違いに過ぎない。(たとえば、走り幅跳び型のラブストーリーである『赤ちゃん教育』は、ラストで主人公が婚約破棄を食らうことでヒロインとくっつく。)

論理的に最も惨めなシチュエーション……かもしれない。

 もてない男の恋愛をいかに惨めに描くかがこの映画にとって最も重要な部分だ。闇の中でこそ光は輝く。惨めさが深ければ深いほど、反転した時に高い所に行ける。恋愛において、最も惨めなシチュエーションとはなんだろうか。

 それは、とてもそんなことをしそうには思えない女の子が、自分との約束があるにも関わらず、自分の部屋で、いけすかない奴と、致している状況だ。しかも、その後押しをしているのが自分なのだ。

 これが究極であることは、5W1Hに分析して見ていくと理解できるだろう。

Who&What&Whom

 まず最も基本的な状況として、誰が誰と何をしているか、がある。これは当然「好きな女の子が」「自分以外の男と」「致すこと」だ。

 ここにさらに要素を付加していこう。まず、好きな女の子は、とてもそんなことはしそうにない方がいい。いかにも尻軽な子が実際に尻軽であるより、貞淑に思えていた子が尻軽であった方がショックは大きいだろう。具体的にはたとえば、セクハラをピシャリと拒む気の強い溌剌とした女の子とかだ。

 自分以外の男の第一条件は、本命が別にいることだ。究極の本命は(一夫一婦制の社会では)妻と子なので、要するに相手は妻子持ちがいい。言うまでもなく、妻子持ちだけど純愛に目覚めてしまったとかそんなんではなく、あくまで性欲処理場として主人公の想い人を利用しているに過ぎないほうがいい。かつ、恋愛とか抜きにして嫌な奴ならなおさら良い。

 嫌な奴といえば、主人公をいじめている奴がすぐに思いつく。では、主人公をいじめるのに最も相応しい人間はどんな種類の人間であろうか? それは職場の上司である。パワハラなんて言葉が普及するぐらい、職場における上下関係とそれに基づく不当な行為は普遍的なものだ。

How

 エロ漫画やAVならばここに力を注ぐが、これは全年齢向けの映画なので(少なくともR18ではないはず)、ここはなしだ。

 強いて言えば、ヒロインは上司の人間性に気付いている方がいい。ヒロインが純真無垢であるがゆえに上司に騙されてそういう関係に陥っているより、全てを分かった上でのめり込んでいっている方が、良い。前者の場合、ヒロインを救ってあげればなにかが変わるかもという希望が生まれかねない。惨めな主人公にそんな希望は不要なのである。

When

 Whenについては、基本的には、自分が辛い思いをしている時が考えられる。

 ここにダメ押しの要素を付加していこう。たとえば、その辛さがヒロインとの約束に起因するものだとしたら? ヒロインに裏切られたのではと疑い、湧き上がる怒りを押さえつけながら、一人寂しく寒さに耐える主人公。その間、ヒロインは主人公のことなど忘れて上司とよろしくやっている。実に惨めだ。

Where

 もう十分な感じはするが、さらにダメ押ししよう。情事の場所はどこがいいだろうか? 主人公にとって絶対にそんなことをしてほしくない場所はどこだろうか?

 バックストーリー次第では、主人公とヒロインの思い出の場所になるかもしれない。この場合、バックストーリーを描く必要性が出てくる。その手間を省く場合、最高の場所は? そう、自分の部屋だ。

 いや、効率を抜きにして考えても、やはり自分の部屋以上の場所はないのではないか。なぜなら、自分の部屋にヒロインと上司が入るには、自分の許可(=鍵)が必要だからだ。自分にとって最も嫌なことを、自分自身が許してしまっている。これ以上に屈辱的な状況はあるまい。

まとめ

 以上のように点検していくと、『アパートの鍵貸します』のシチュエーションが完全無欠であることに気付かされる。どの要素を取っても穴がない。

 工夫次第ではこれ以上を目指すことは可能かもしれない。たとえば、ヒロインとの関係性については改善の余地がありそうだ。ヒロインが幼馴染だったり、あるいは恋人だったりすれば、さらに絶望を深くすることはできる。ただ、リアリティ(というかあるある度)を犠牲にする必要はあるし、ヒロインがあくまでヒロインであり続けられるラインに収める必要があることにも注意したい。

 やはり、諸々の塩梅を考えるに、『アパートの鍵貸します』を超えるシチュエーションは存在しないように私には思える。これ以上を望みようがあるだろうか? そもそもラブホテルが存在する日本においては『アパートの鍵貸します』に並ぶことさえ不可能と言っていい。

究極の食材をいかに調理するか

 とまあそんなわけで、究極の無慈悲なシチュエーションが完成した。次に問題になるのは、これをいかに提示するかだ。映画の冒頭でいきなりこれを見せては、せっかくの究極のシチュエーションが台無しである。

天国と地獄

 人を奈落の底に突き落とす時には、まず高い所まで連れて行くのがハリウッドの常識である。逆もまたしかり。人を天国に登らせたいなら、まず地獄を見せる。

 「奈落の底」は主人公が上に書いたような状況に気付くことだ。だから、その直前まで、主人公は浮かれている必要がある。ヒロインと「なんだか行けそうな気がする~~~~~! あると思います!」と。なぜ浮かれているのかといえば、昇進したからだ。浮かれる前にはプチ地獄がなければならない。主人公はヒロインとデートの約束を取り付けることに成功するが、約束をすっぽかされるのだ。これが延々と繰り返されるが、最初から書いていくと次のようになる。

- 上司(これは恋のライバルの上司とは別)に自分の部屋から締め出される。

+ ようやく自分の部屋でくつろげる。

-- 別の上司からレンタルの要請があり、眠れない上に風邪をひく。

++ 人事権を握る上司(これが恋のライバル)と繋がり、ヒロインとデートの約束を取り付ける。

--- 約束をすっぽかされる。

+++ 昇進が実現する。

---- 上司とヒロインとの関係に気付く。

小道具を使う

 まあ、これくらいのことは名作ならばやってのけて当たり前だ。『アパートの鍵貸します』が卓越しているのは、いかにして主人公に気付かせるかの部分だ。

 シンプルに考えれば、主人公が現場を目撃するのが手っ取り早い。だが、ビリー・ワイルダーはもっと良い方法があることを知っている。小道具を使うのだ。

 昇進したその日、主人公は自分の部屋に忘れられていたコンパクトを上司に返す。コンパクトの鏡が割れているが、上司は気にしていない。いつものことさ、週に2回も会うと女は離婚を迫ってくる……などと述べる。主人公は相手がヒロインだなどとは思っていないから、「ひどいっすねー」と同調する。場面が変わり、主人公は浮かれてヒロインと話している。「この帽子、変じゃない?」なんて言っていると、ヒロインがコンパクトを渡してくれる。鏡を見ると……。

 現場を目撃するよりも圧倒的に情報量が多い流れも自然だし、落差も大きい。しかもリアルだ。我々の日常生活において、職場のカップルがいちゃついている現場を目撃する機会はめったにない。そうではなく、何らかの醸し出される雰囲気から察することの方がはるかに多い。だから、割れた鏡に愕然とする主人公を見ると、「こいつは俺だ! 俺はこのとおりだったんだ!」と叫びたくなるのである。それに人を苦しめるのは妄想だ。こういうのは、実際に見えている時より、想像している時の方が辛いものだ。お化けだってなかなか出てこないから怖いのだ。さらにさらに、割れた鏡が主人公の心のメタファーとしても機能している。目に見えるものは見せず、目に見えないものは見せるのだ。

 ……すごすぎる。小道具を使うメリットがすごいっていうか、小道具の使い方がすごい。やばい。ぱない。えげつない。

 コンパクト以外にも、様々な小道具が『アパートの鍵貸します』には登場する。鍵、睡眠薬、レコード、シャンパン、カミソリ、テニスラケット、トランプ……。小道具ではないが、エレベーターもメタファーとして機能している。

社畜のための映画でもある

 注目したいのが冒頭だ。

 映画の冒頭ではだいたい誰かしらが死ぬ。つかみに最も有効なのが死だからだ。誰かを死なせられない場合、次に候補として挙がるのが金とエロである。

 ところが『アパートの鍵貸します』では誰も死なない。エッチなお姉さんも登場しない。お金の話もほぼない。異常である。

 代わりに何を見せるかと言うと、ニューヨークの空撮映像であり、主人公の働く巨大なビルだ。観光地で人を呼び寄せるものは、大きいものと、たくさんあるものだ。たとえば、奈良随一の観光スポットには何があるか? 大仏と鹿だ。もしかしたら、『アパートの鍵貸します』のつかみは、でかい建物と沢山の人なのかもしれない。主人公の働くオフィスを広く見せるために、わざわざ遠くに行けば行くほど机や人物を小さくし*2、遠近法を強調していることを考えると、けっこう有力な説では。

 それにしても、なんでこんな場面から映画を始めるのだろうか? 時計を大写しにするカットからも他意を感じる。

 で、気づいた。自分の部屋を上司に貸しているというこのシチュエーションが、サラリーマンの生き方のメタファーになっているのだ。会社員は自分の時間を切り売りして生きている。家に帰っても、夕食を取ったり歯を磨いたりしているうちに、寝る時間が来てしまう。プライベートな時間などろくにとれない。

 時間を場所に置き換えて表現したのが『アパートの鍵貸しますなのだ。自分の部屋を上司に奪われるバクスターの姿は、忙しい全てのサラリーマンの生き様を表している。ヤリ部屋の予約状況を管理する様子は完全に仕事だ。そうやって考えると、小道具が多用されていることそれ自体がメッセージだったことに気付く。「目に見えないものを視覚化すること」がこの映画にとって重大なテーマだったのだ。

 というわけで、『アパートの鍵貸します』はもてない男のための映画ではなく、全サラリーマンのための映画でもあったのだ!!

妄想と感想

 後半もあまりに素晴らしすぎるのだが、書けることは特にない。やはり小道具の使い方がポイントになってくるが、それについてはすでに述べてしまった。

ラスト10分が神

 一つ述べておくなら、上司に「ヒロインは俺がもらう」と宣言しに行ったら、先に上司が「ヒロインは俺がもらう」と宣言する場面はすごい。激やばだ。いや普通に考えたら、「主人公がヒロインの面倒を見て、二人の仲は急接近! 上司は不倫がバレて成敗される! めでたしめでたし!」で終わらせるじゃん。まさか「不倫がバレた結果、離婚することになったので上司とヒロインの恋の障害がなくなりました!」で来るとは思わないじゃん。こっからのラスト10分、どこで終わってもおかしくないんだよ。どこで切っても、「これは優しすぎるバクスターの切ない恋の物語……」で終われるんだよ。だから最後の最後までずっとハラハラしっぱなし。それでいて、ラスト2分できっちり、なんの違和感もないハッピーエンドに持っていくんだよ。すごくないか? やばすぎる。この映画。

 ……はっ! ついつい興奮しすぎてしまった。

ヒロインと姉の夫との関係性について

 興奮ついでに妄想を一つ書いておこう。

 帰らないヒロインを心配して、姉の夫が殴り込みに来るが、この人物の怒りようはちょっと異常にも思える。一緒に暮らしている家族とはいえ、所詮は義理の家族だ。自殺未遂をしたと聞かされたとしても、事情を聞きもしないうちに赤の他人を殴るほど怒るものだろうか?

 ここで考えたいのが、ヒロインは道ならぬ恋をするタチであることだ。しかも、これまで3回恋をしてきたと言いながら、指は4本立てているのだ。

ぽくぽくぽくちーん。

 そう、ヒロインと姉の夫はかつて恋人だったのだ。しかし、不義理な彼はこともあろうに姉と結婚してしまう。なんてひどいやつだ。その辛さを忘れるために、ヒロインはエレベーターで二人きりになりがちな上司に恋をするのである。

 ……はい、全て妄想です。妄想の余地がある映画って素晴らしい。

少女革命ウテナ』の黒薔薇編が好きな人にオススメします

 マイベストアニメは『少女革命ウテナ』だ。このアニメを超える作品を探すために、私はアニメや映画を見てきたと言っても過言ではない。

 あれから10年。ずっと探し求めてきたものに、ついに出会えた気がする。

 考えてみれば、『少女革命ウテナ』に登場する人物はほぼ全員、バクスター的人物だし、鳳暁生はシェルドレイク的人物だ。私は、あのアニメに登場する人物たちの惨めさが大好きだったのだ。特に黒薔薇編はそれが最も強調されるシーズンで、私はそこが一番好きだ。

 『少女革命ウテナ』の一番ドロドロしている部分をぎゅっと2時間サイズに押し固めた映画、それが『アパートの鍵貸します』だ(順番が逆だが)。『少女革命ウテナ』のファンならほぼ確実に『アパートの鍵貸します』は気に入るに違いない。断言する。

 ついでに言えば『アパートの鍵貸します』を観た後だと、『少女革命ウテナ』の読み解きがだいぶ楽になる気がする(気がするだけかもしれない)。

 そういうわけで、私は『アパートの鍵貸します』は究極で最高の映画だと思う。

*1:現時点で自分が観測している限りの話で、これから多くの映画を見ていく中でさらに増えるかもしれない。

*2:どうやって人物を小さくするのかって? 子供を使うのだ。