たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

アメリカ映画ベスト100制覇への道:その3 赤ちゃん教育

 『赤ちゃん教育』は1938年のコメディー映画。前回の『キートンの大列車追跡』からは12年後の映画だが、もうサイレントではなくトーキーだ。色はまだない。

 『赤ちゃん教育』ではこれまで会話ができなかった腹いせとばかりに喋りまくる。トーキーの黎明期、こうしたハイテンポな会話劇が流行り、スクリューボール・コメディというジャンルを築いたそうな。スクリューボール・コメディの傑作の一つとして名高いのがこの『赤ちゃん教育』なのである。

 

 ストーリーを一言でいうと、「翌日に結婚式を控えた動物学者が富豪から100万ドルの寄付を取り付けようとするも謎の女にことごとく邪魔される」というもの。

 主人公デイヴィッドを演じるのはケーリー・グラント、謎の女スーザンを演じるのはキャサリン・ヘップバーン

 このスーザンという女がとんでもない泥棒猫なのだ。

 デイヴィッドは勤め先の博物館のために、とある未亡人から100万ドルの寄付の約束を取り付けようとしている。未亡人の代理人であるピーボディ弁護士との接待ゴルフ中、不意に現れたスーザンはデイヴィッドのボールを勝手に打ち始める。文句を言うデイヴィッドを無視してラウンドを終えたスーザンは、勝手にデイヴィッドの車に乗って立ち去ろうとし、接待どころではなくなってしまう。

 その後も100万ドルのために奮闘しようとするデイヴィッドだが、スーザンから盗んだカバンを押し付けられ、豹を押し付けられ、盗んだ車に乗せられ、ズボンを奪われ、大切な恐竜の骨を奪われ、寄付の話は進展を見せないどころか後退していくばかり。

 さらに豹が逃げ出して、小捕物が始まり、いよいよ100万ドルどころではなくなってしまう。その最中で調教師を噛んで処分されそうになっている豹を間違えて解放してしまい、事態は混沌を極めていく。

 こうしたドタバタが何度も繰り返されるうちに、最初はいがみ合っていたデイヴィッドとスーザンの距離は縮まっていく。が、婚約者のいるデイヴィッドはスーザンを受け入れるわけにはいかない。

 結局、散々にめちゃくちゃをした報いか、スーザンたちは牢屋にぶち込まれてしまう。なんやかんやあってこの牢屋に登場人物すべてが集い、一気に物語が収束していく。清々しささえあるこの構成は見事としか言いようがない。

 スーザンと良い感じになっていることがバレてデイヴィッドの婚約は破断になるし、100万ドルの寄付は未亡人の姪だったスーザンが受け取ることになる。スーザンはその100万ドルをデイヴィッドに寄付してくれるし、デイヴィッドは元の婚約者より魅力的なスーザンという新しい恋人を得ることになるわけで、(デイヴィッドの視点から見れば)それなりのハッピーエンドに落ち着く。

 スーザンは100万ドル(と心)をデイヴィッドから奪い、デイヴィッドの願いを叶えるわけだが、実はこの構図は冒頭のゴルフのシーンと同じだ。スーザンにただめちゃくちゃをさせていただけでなく、冒頭で結末を暗示していたのだ。上手い。

 

 前回も書いたが、規範に反した行いをするのは笑いの基本だ。『赤ちゃん教育』もご多分にもれない。スーザンは他人に迷惑をかけるタイプの罪を重ね続けるし、しかもその報いをあまり受けない。被害者がデイヴィッドだけならいいが、関係ない赤の他人まで巻き込んでいる。ここまでいくと(特に現代では)笑えない人も多いのではなかろうか。私も初見ではなかなか辛いものがあった。

 しかし、上に書いたように、冒頭が結末を暗示していたり、取止めもなさそうなドタバタも泥棒という一本の軸で貫かれていたり、とっちらかった物語が急速に収束するラストシーンなど、構成の上手さは認めざるを得ない。

 いがみ合い(?)から始まり、ドタバタの中で恋が進展するというのは今でもラブコメの定番中の定番だ。『涼宮ハルヒの憂鬱』とか『とらドラ!』とか。

「恋の衝動は人間の行動に矛盾を生じさせる」

 劇中でこんなセリフが出てくる。この言葉はツンデレにそのまま当てはまる。スーザンはデイヴィッドにデレデレなのでツンデレではないが、デイヴィッドはツンデレ的だ。そういえば、『涼宮ハルヒの憂鬱』でもハルヒツンデレなのは明らかだが、実はキョンツンデレだったりする。というか実はラブコメではヒロイン以上に主人公がツンデレ気質である割合の方が高い気がする。

 ブコメの原点は1930年代のハリウッドにあったのかもしれない。そしてこの頃からツンデレはラブコメに欠かせない存在だったと言っても過言ではないかもしれない。