たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

乃木坂46は散った花か、咲いている花か──僕の『Same numbers』解釈

 思えば、若い頃は周囲が期待している(であろう)自分のイメージに、言動を合わせようとしていた。

 幼き頃からおとなしくて内気で真面目な少年だったから、そのイメージを崩さないために、お洒落はしない。髪を染めるなんて論外。色気付いていると親に思われるのが嫌だった。

 ダンスや歌、芝居の発表も恥ずかしくてたまらなかった。上手いとか下手とか以前に、自己イメージとの乖離(普段の自分なら人前で踊ったり歌ったりなんてしない。)に耐えられなかった。

 そんな風に、思春期は自分らしさに囚われ、それゆえに自分らしさを問わずにはいられなかった。

 

 そういう意味で、乃木坂46は今まさに思春期を終えようとしているのかもしれない。

 「乃木坂46らしさ」とは何か?

 ここ最近の乃木坂46は、この問いと向き合い、もがき続けていたようだ。

 そして、ようやく一つの答えを導き出した。

 それが乃木坂46の39thシングル『Same numbers』だ。


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選抜メンバー

 まずは選抜メンバーについて見ていきたい。

 今回、注目だったのは、6期生をセンターに起用するのか否かということだった。もし6期生が起用されるなら矢田か瀬戸口か。6期生はお預けなのであれば、最有力は賀喜遥香。『歩道橋』で遠藤が単独センターだったため、センターを務めた回数で遠藤と賀喜のバランスが崩れていたからだ。賀喜でなければ、井上か中西かといったところではなかったか。結果、賀喜がセンターとなった。

 というわけで、6期生の選抜はなかったが、今回のサプライズは選抜の人数を16人に絞ってきたことだ。この人数は15枚目シングル『裸でSummer』*1以来。それ以降、乃木坂はずっと18人以上の選抜でやってきた。近年は19人か20人が続いていた。それが今回の39枚目シングルで、前回から3人減らしての16人。

 前回のシングルで佐藤と中村が卒業して、乃木坂は6期生を除くと27人体制。これで19人選抜を維持してしまうと、アンダーライブが興行として成立しなくなってくる。前回のアンダーは10人だったが、これも過去最少の人数。それよりは多くしたい。というわけでの16人。こんな成り行きではなかろうか。

 さらに付け加えるなら、もうしばらくすれば6期生がシングルに参加するようになるわけだから、選抜争いは激化する。その状況にあらかじめ慣れさせる意味合いもあったかもしれない。

 これによって選抜から落ちたのが、奥田、林、金川、そして田村。この中で注目すべきは田村だ。田村はこれまで13作連続選抜。アンダーにはなったことがない。スキャンダルがあったわけでもなく、乃木坂に聖域はないという運営のメッセージかもしれない。

 この状況にもかかわらず、選抜に上がったのが岡本。そう、選抜の人数が絞られたことで一層浮き彫りになったのが、5期生の強さだ。16人中10人が5期生。もはや乃木坂は5期生のグループと言っても過言ではない。というか、おそらくそういう流れを運営が作ろうとしている。4期生は遠藤と賀喜が絶対的なダブルエースで、その他でフロントになったことがあるのは筒井のみ。対して、5期生は、井上、中西だけでなく、小川と池田、そして今回で一ノ瀬と川﨑もフロント経験者となる。過半数がフロントを経験した唯一の期だ。岡本を選抜に引き上げたのも含めて、5期生全体に箔をつけてブランドを強化しようという意図が感じられる。言うまでもなく、こうした采配ができるのは実際に5期生が人気だからだ。五百城なんかは次のシングルでフロントになっても全く違和感がない。

 これを5期生に偏りすぎていると言う人もいるかもしれない。だが、エンターテインメントにおいては、偏りこそが大切なのだ。偏らなければ面白くない。勝者と敗者がいるから物語は面白い。正義と悪があるから物語は面白いのだ。完全に均等な世界、エントロピーが最大になった世界は死んでいるも同然だ。

歌詞

 そう、物語を読み込む上で大切なのは二項対立だ。

 『Same numbers』ではどのような二項対立があるのか。サビでこれ以上なく分かりやすく言ってくれている。

待ってても揃わないだろう

希望と現実

僕のSame numbers

 『Same numbers』は、希望と現実の二項対立を題材にした歌だ。

 始まりはこう。

デジタル時計を何度か眺める度に

ゾロ目ばかりがいつも並んでる気がする

なぜだ?

確率的にあり得なさそうなそれは

僕に何を伝えるのか?

 デジタル時計がゾロ目(=Same numbers)になる確率はいかほどか。時分秒のいずれを捉えるかで答えは変わってくるから計算はしないが、デジタル時計を眺める度にゾロ目が並んでいることなどはあり得ない。それは確かだ。

 もし「眺める度にゾロ目が並んでる気がする」という感覚に嘘がないとするならば、それはゾロ目が並んでいない時のことを忘却しているからに違いない。時計を何度も見ているから、ゾロ目にも何回も出会う。でもゾロ目じゃない時のことなんて覚えていないから、デジタル時計を眺める度にゾロ目が並んでいると言う認識になる。

 ここで次のように考えることができる。

  • ゾロ目=奇跡であり、サプライズであり、夢であり、希望
  • ゾロ目以外=日常であり、頑張りであり、現実

 上で述べたように、無意識に何度も時計を見るという試行を繰り返した果てに、ゾロ目に出会う。つまり、日常と希望は地続きなのだ。言い換えれば、本当は二項対立など存在せず、ゾロ目を特別なものにしているのは自分自身の認識でしかないということだ。夢や希望が叶うのは奇跡なんかではなく、日常の一部。日常の頑張りがなければ、夢や希望の実現もあり得ない。逆に、日常のあらゆるものが奇跡的なものだと考えることだってできる。

 『Same numbers』という歌は、二項対立の統合を試みる歌なのだ。MVはこの点を表現した映像となっている。

 ここからは余談。

いくつものOpportunity

そう重なり合って

 唐突に現れるOpportunityという英単語。ただ音数を合わせるためだけに英語を使っているわけではないことに気付いただろうか? OpportunityのOは0を表している。Same numbersとは00:00:00のことだったのだ。奇跡的な瞬間の訪れとともに新しい一日が始まることを密かに暗示している。

MV

 MVにはどのような二項対立が映されているのだろうか?

 初っ端から、二人の賀喜遥香が現れる。手を伸ばした二人はデジタル時計の表示を挟んで点対称に配置されている

 二人の賀喜遥香が二項を表しているのは間違いない。しかし、二人は全く同じ姿に見える。二人の間に対立する要素はない。あるとすれば、二人のポジションだけだ。

 というわけで、ポイントは上下対称の画面構成だ。この後に出てくるダンスシーンでも同様のエフェクトがあるし、後半からメンバーたちが踊る謎の部屋も空から差し込む光が上下対称の空間を作り出している。

 このMVを読み解くには、縦の構造に注目する必要がある。冒頭でメンバーたちが見上げるのは空。空からはなぜか地上にいるメンバーが落下してくる。地上にいるメンバーは落下してくるメンバーに手を伸ばすが、23:59:59を迎えた次の瞬間、落下してきたメンバーは消え去ってしまう。それに賀喜遥香が涙するのが2番の冒頭。

 空には、太陽以外に大きな星が二つある。一つは異常に大きく、一つは小さい。月が二つあるということだろうか? おそらく、これは小さい方が月で、大きい方はもう一つの地球なのだ。足元の地球と空の地球はそっくりな世界で、空から落下してくるメンバーは空の地球から落ちてきたのかもしれない。(最後、うっすら3番目の星が見える気がするが、もしそうだとすればそれぞれの地球に月が一つずつあるのかもしれない。)

 そして、一般的に縦の構造が表すのは上下関係だ。ここでは理想と現実を表現していると考えておけばよいだろう。空から落ちてくるのは理想の賀喜。地上にいるのは現実の賀喜。地上の賀喜は理想に手を伸ばすも、手が届きそうな瞬間に消えてしまう。デジタル時計は壊れて88:88:88を示し、新しい1日は始まらない。また同じ日々が繰り返す。*2

 ここで8という数字にも注目したい。これは丸が「縦に」二つ並んだ形をしている。ここにも縦の構造があるのだ。

 MVの中盤、賀喜は8という数字をつまんで倒して∞にしてしまう。これは繰り返す日常、無限の可能性を表すことはいうまでもない。同時に、理想と現実の関係を上下関係から水平関係に位置付け直すという意味もある。理想と現実は断絶されているのではなく、地続きだと理解する。

 これを境に、それまで上を見上げていた賀喜は同じ地上にいる一ノ瀬と川﨑に意識を向け、優しく包み込む。そうして、それまで赤と青に分かれて踊っていたメンバーたちの衣装は紫で統一される。二項対立の統合だ。

 縦に並んでいた丸が横に並び、一つになれば0になる。デジタル時計は00:00:00を示し、賀喜はついに新しい一日を迎える。

 最後に落ちてくる賀喜はそれまでと異なりふんわり落ちてくる。縦の構造が弱まっているからだ。果たして二人はピッコロ大魔王と神様のように一つになったのか。それは見るものの解釈に委ねられる。肝心なのは二項対立の統合であって、理想が実現するかどうかはさほど重要ではないからだ。

 

 エンターテインメントでは二項対立をいかに使うかが大事だ。だが、それはあくまでエンターテインメントの世界のお話。二項対立は面白がるものであって、二項対立に支配されてはいけない。そういうことよ。

*1:何かが足りない。

*2:どうもメンバーのブログを読んでいると、「過去は変えられないけど、過去を救うことはできる」がテーマらしい。落下運動によって、上=過去、下=今という関係が生まれるのかもしれない。だが、本文のとおりに解釈しても、見ている方向が過去なのか未来なのかの違いがあるだけで要点は変わらない。