たぬきのためふんば

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『真昼の決闘』には働く大人のリアルがある

アメリカ映画ベスト100制覇への道:その13 真昼の決闘

 結婚と同時に引退した労保安官がハネムーンに出かける直前、彼がかつて逮捕した大悪党が釈放され町に帰ってくるという知らせが入る……。

制限時間

 この映画の原題は"High Noon"。正午という意味だ。大悪党フランク・ミラーが帰ってくる予定の時刻がタイトルになっている(彼は列車に乗って帰ってくる予定なので、正確に時間が分かるのだ)。

 それまでに保安官ウィル・ケインは仲間を見つけなければならない……という緊張感がこの映画の肝になっている。

 ちなみに、実際の時間経過と作中の時間経過はだいたいリンクしているらしい。『24』の元ネタみたいな作品かもしれない。

仕事とはなんなのか

 仕事を引退した直後に、しかもこれからハネムーンに向かおうという時に、重大なインシデントが発生するという展開が良い。責任は職務に伴うものなのか、それともそれとは無関係に生じるものなのか……。仕事とは何なのかという普遍的な問いが含まれている気がする。(ちなみに、新しい保安官は翌日に着任する予定なのだ。そもそも保安官のいない期間を作るなやとツッコミたくなる。)

悪のカリスマ

 登場人物はフランク・ミラーを異様に恐れている。彼が捕まるまで、人々は外を安心して歩くことはできなかった。災害みたいな存在なのだ。ミラーを捕まえたケインは老いたし、当時より保安官の数が減っているという要因もあるかもしれない。

 そんなミラーが町中から嫌われているのかというと意外にもそうではない。あいつがいた頃は店がもっと賑わっていた……なんてのたまう輩までいる。

 そう、フランク・ミラー悪のカリスマなのだ。『ハリー・ポッター』シリーズのヴォルデモート、『僕のヒーローアカデミア』のオール・フォー・ワン……。悪のカリスマはいつだってバトル物を盛り上げてくれる。

本当の敵は……

 悪のカリスマは、一定の層から支持を得て力を持ち、その力で人心を惑わせる。人間の弱い心が悪のカリスマに力を与えるのだ。

 このとき、主人公たちが真に戦わなければならないのは、悪のカリスマ本人ではなく、人間という生き物の弱さとなる。

 『真昼の決闘』はまさにそのような作品だ。ケインは町人たちに応援を呼びかけるのだが、町人たちは喧々諤々の議論の末にケインが町の外に出るのが一番だという結論に達する。ミラーはケイン個人を標的にしている可能性が高いからだ。

 酷い話である。結局、人は自分のことしか考えていないのだ。(ちなみに、議論は教会で行われる。皮肉が効いていて良い!)

 『我等の生涯の最良の年』でも描かれたことだが、仕事を立派にこなしたところで褒めてくれる人など一人としていない。それどころか尽くしている相手に憎まれさえする。コオロギパンを作れば「気持ち悪い」と罵られ、「そんなことしてる暇あれば牛乳をなんとかしたら?」と言いがかりに近いことを言われる。コロナ禍で人々を救うために働いている医療従事者たちが、まるで補助金で私腹を肥やしているかのように言われたりする。世の中そんなもんである。これが働く大人のリアル。でも、本当にそれでいいの? いったい人は何のために働いているのだろうか?

男と男が争う最大の原因は女

 ちなみに、ケインには助手がいるのだが、ケインとその助手は折り合いが悪い。助手の恋人がケインの元カノなので、それが原因でケインに疎まれていると助手は感じているのだ。結局、それが原因でケインは助手に協力を拒まれてしまう。ちなみに、その元カノはミラーの元カノでもある。

 男と男が争う最大の原因は女。とてつもない説得力がある気がする。