たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

激動の10年の中にあっても変わらない自分という存在

10にまつわる4つのお題10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

 10年の間に変わったこと・変わらなかったことは、その始点と終点を見れば明らかになります。終点は今立っているこの場所ですから、始点を振り返ってみましょう。

10年前、社会で何が起こったか

 10年前は2011年です。この年に何があったのか、Wikipediaを眺めて目についた項目を羅列してみます。

中国がGDPで日本を抜く

 今でこそ米国VS中国という構図ができあがっていますが、この頃はまだまだそんな状態ではありませんでした。一般庶民からすれば、チベットウイグルを虐げ、尖閣にたびたび侵入してくる独裁国家というイメージこそあれ(動画がYouTubeに流出したのは2010年です)、経済大国などというイメージを持っている人は少数派だったのでは。

 それから10年でここまで差を付けられるとは。

東日本大震災

 東日本大震災が起きた年、ということは当時はまだまだ民主党政権の真っ盛りだったのですね。枝野さんはこのとき内閣官房長官として一定の評価を得たと認識していますが、彼のもとでここまで民主党が没落するとは……。10年の月日は長いです。

ウサマ・ビンラディン殺害

 そしてビンラディンが死んだのもこの年。さらに10年遡れば同時多発テロ。10年時計を進めれば、タリバンの勝利が待っていると。本当に長い戦いです。

スティーブ・ジョブズ死亡&ドル77円

 この頃、私はたぶんまだiPhoneを持っていなかったっぽいです。少なくともGmailのアカウントはまだ持っていなかったようです。てことは、Amazonのアカウントもまだ持っていなかったし、必然、プライム会員でもなければKindleも利用していませんでした。Twitterを利用していたのは間違いないのですが、あれはPCで利用していたということ? 当時SNSといえばmixiで、Facebookはまだ上場もしていなかった頃で日本ではあまりメジャーではありませんでした。LINEもこの年に立ち上げで、一般に普及するのは次の年くらいからでは。(この頃にAppleの株を買っていれば今頃働かなくて済んだのになあ……。)

 ジョブズが亡くなったこの年は、『スティーブ・ジョブズ』をスタバで読む姿が意識高い系のアイコンだったような気がします。つまり、この頃には意識高い系という概念はすでに存在したし、意識高い系はスタバにたむろするものだったし、意識高い系はMacを持ち歩いているものだったのです。

地デジ移行

 地デジに移行してからまだ10年しか経っていないのか~。当時はYouTubeもまだテレビの脅威になるほどではなく、YouTuberより生主の方が認知度の高い時代でした。YouTubeを主戦場にする芸能人が現れることはあまり考えられなかったですね。

まとめ

 こうして振り返ってみると、10年という時間の長さを感じます。

 今では当たり前のインフラストラクチャーがこの頃にはまだ芽でしかなかったのです。少なくとも日本の大学生にとっては。逆に、当時当たり前だった社会的インフラが新しいものに取って代わられていったということでもあります。栄枯盛衰、諸行無常。そのサイクルには10年かからないようです。

 年末になると毎回、「今年もあっという間に過ぎてしまった……」と思いますが、こうして振り返ると、濃密な時間を過ごしていたのですね。

 逆に言えば、10年後の世界は全く別物になっているのでしょう。わかりやすいところでいえば、テスラはトヨタに迫るくらいになっているかもしれません。GAFAの一角が崩れている可能性もあります。VRの普及率はかなり高くなっているはずです。Tiktokもその頃には時代遅れになっているんだろうなあ。想像は尽きません。

10年前、私は何をしていたか

 2011年、私はアニメに没頭していました。震災の年ですから『魔法少女まどかマギカ』が大ブームを巻き起こした年です。

 でも私にとってもっと衝撃だったのは『輪るピングドラム』ですね。第一話を見た時に、「この監督は天才じゃ~!!」と雷に打たれ、すぐに渋谷のGEOに行って『少女革命ウテナ』を借りたのでした。それがさらに衝撃の衝撃で、我が人生で最高のエンターテインメント体験は何かと言ったら間違いなくこの時の『少女革命ウテナ』です。「これより面白い作品を見たい!」と思い、それまで以上にアニメを漁るようになったものです(そして貴重な学生時代は水泡と帰した)。

 結局、『ウテナ』より面白い作品は見つかったのか? う~ん、深く感動するアニメ・映画・漫画にはいくつも出会いましたが、あれほどのインパクトにはまだ出会えていないかも。でも、あれが私にとってのファースト○○的な体験だったとすれば、『少女革命ウテナ』を超える作品はもう現れないのかもしれません。

 余談ですが、この年の五月祭に榎戸洋司氏と五十嵐卓哉監督がいらっしゃって、お話を客席から聞きました。

自分に起きた変化

アニメを見なくなった

 そんな私が今ではほぼアニメを見ていません。当時の私が知ったら驚くでしょうか。たぶん、驚かないでしょう。予想していたと思います。仕事をしていればそんな時間はないのは火を見るより明らかだからです。

環境の変化

 大学生だった私が働き始めてからもはや数年経ちます。「同級生は全員東大生」という環境から「東大卒に会うの初めて」としょっちゅう言われる環境へ移ったわけですが、少しは世間というものを学んだかもしれません。まだ勉強中ですが。一人暮らしを始めて家事をするようにもなりました。

生活習慣の変化

 学生時代は午前4時に寝て10時~12時に起きるという不健康極まりない生活を送っていたのですが、仕事を始めてからは日付が変わる前に寝て早朝に起きる健康的な生活です。

資産の変化

 働き始めれば資産が増えますね。おかげさまで自己投資に躊躇することは減りました。

 10年前は現金しか持っていませんでしたが、今では資産の大半は株式等です。

技能の変化

 仕事を始めてから飛躍的に成長したのはエクセルの技術です。高校のエクセルの授業で赤点を取った私がVBAを自在に(?)操るところまで来ました。

 それから株式投資を始めたことで金融の知識は増えたし、そこを起点にビジネス方面の興味と知識もかなり増えたと思います。

身体の変化

 鏡で頭を見て憂鬱になる回数は確実に増えましたね……。健康に気を使うようになったのはこれがきっかけです。メメント・モリ

何が変わらなかったのか?

エンターテインメントは求め続けている

 アニメを見なくなりましたが、それは時間がないからというだけの話。むしろお金はかかるけど短時間で楽しめる漫画や音楽に触れる量は増えたくらいです。心は感動を求め続けています。

読書量

 大学生の頃は二週間に一回、図書館で5,6冊借りては2,3冊読み終えて返すみたいなことをやっていました。計算すると年に50冊以上は読んでいたと思います。去年は年に50冊以上読めたので、読書量はそんなに減っていないはず。

内面

 どれだけ外的環境が変わっても、行動パターンが変わっても、中身は変わっていない気がします。

 「働きたくねー」は10年前から思っていたし、今でも思っています。残業を強いられている現在、むしろその思いは強まるばかりです。

 「自分は何がしたいんだろう?」「自分には何が向いているんだろう?」と問うても、答えが出ないのも相変わらずです。

 仕事でどれだけコミュニケーションの数を重ねても、コミュニケーション嫌いは変わりません。

 今年に入ってから8年ぐらいぶりにブログをやりましたが、文章を書くのが好きなのも変わっていませんでした。

大きく変わったように見えて変わっていない自分

 こうやって考えると、自分の人生に大きな変化はありましたが、それは全て外的なもののようです。

 人生を形成するものの構成要素を以下の5つと考えてみます。

  • 環境(労働環境・住環境・傷病)
  • 行動
  • 資産(金融資産・技能・知識・人間関係・健康状態など)
  • 世界観(世界の見方)
  • 価値観(見えるものの感じ方)

 環境は行動を変えます。行動は資産(と稀に環境)を変えます。資産は世界観を変えます。世界観は行動を変えます。しかし、価値観は変わらない。一方的に世界観に影響を与え続けるだけ。そんな感じ?(何が世界観で何が価値観かは難しい問題ですが。)

 人生とは車のようなものかもしれません。窓の外の景色は止まっていても激しく変わり続けていきます。どこを走るかは自分で決めることができますが、道路の外に飛び出すことはできません。走り続けると、ドライビングテクニックは向上していきます。そのうちにちょうどよいミラーの角度を見つけることも覚えていきます。でも、どんな景色を見るとどう感じるかまでは変わらない。それが人生なのかもしれません。

 ひっくり返すと、人生を変えようと思ったら、行動によって環境か資産を変えることを考えるべきということになるでしょうか。間違っても自分(や他人)の精神を変えようとは思わないほうがいい……のかも?