たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

『エイリアン』と『ザ・フライ』と『リトル・ミス・サンシャイン』と『オデッセイ』と『天使にラブソングを』

 認識している限りでは初めてコロナにかかった。しんどかった……。

 日経新聞とにらめっこしながら、特に書くことも思いつかないので、観た映画について書こう。

 

 『エイリアン』は1979年の映画。監督はリドリー・スコット、脚本はダン・オバノン、主演はシガニー・ウィーバー

 『ザ・フライ』は1986年の映画。監督はデヴィッド・クローネンバーグ。主演はジェフ・ゴールドブラム

 『リトル・ミス・サンシャイン』は2006年の映画。監督はジョナサン・デイトンヴァレリー・ファリス、脚本はマイケル・アーント、主演はアビゲイル・ブレスリンなど。

 『オデッセイ』は2015年の映画。監督はリドリー・スコット、脚本はドリュー・ゴダード。主演はマット・デイモン

 『天使にラブソングを』は1992年の映画。監督はエミール・アルドリーノ、脚本はジョセフ・ハワード。主演はウーピー・ゴールドバーグ

 

 『エイリアン』は『ジョーズ』の宇宙人バージョン。

 肝心なのは、モンスターとのバトルが物語のクライマックスになる点。『ジョーズ』はサメとのバトルに持っていくまでに工夫を要したが、『エイリアン』では宇宙船という閉鎖空間にエイリアンが紛れ込んで否応なく戦うしかなくなる。

 このシチュエーションの差によって、バトルの様相はかなり異なる。『ジョーズ』では互角の戦いが繰り広げられたが、『エイリアン』で展開するのは一方的な虐殺である。

 そういうわけで『エイリアン』の方がホラー度が強い。グロいしキショい。

 

 『ザ・フライ』は、テレポーテーションの際に蝿と人間が融合してしまうというシチュエーションが謎に有名な作品。1958年の映画のリメイクである。

 これもモンスターが登場して最期にはバトルが発生する作品ではあるのだが、『エイリアン』とは全く異なる、重要な要素がある。変身だ。

 サメやエイリアンをぶっ殺すのにはなんの躊躇もいらないが、相手が元人間となると彼を殺すのには悲しみが生じる。それこそがこの作品の肝である。カフカの『変身』みたいなものである。

 そのため、ハエ男が生まれるまでのラブストーリーにまあまあの時間が費やされるのであるが……この作品は難しい。ハエ男のビジュアルがきしょすぎるため、融合以降はB級チックなホラーにしかならない。そうなると、前段のラブストーリーとの落差があまりに激しくなってしまってちぐはぐ感が拭えない。でもラブこそがこの映画の肝だから、そこの手を抜くことはできない。

 というわけで、この映画はB級映画になる宿命を背負って生まれてきたといっても過言ではないのではなかろうか? ただでさえそうなのに、ハエ男のセックスが激しすぎてヒロインが限界を迎えたりだとか、クズみたいな元カレが終盤ではヒロインをサポートして結果的に寝取った形になったりだとかで、ますますB級臭がする一本となっている。

 しかし、この映画の製作費は1500万ドル。『エイリアン』よりも高い。B級臭は製作費から生まれるのではない。エロとグロから生まれるのだ。

 

 打って変わって『リトル・ミス・サンシャイン』は平和なロードムービー

 この作品が生まれたきっかけは『ホーホケキョ となりの山田くん』だ。ささいな日常を描くことでも傑作を生み出せることを知ったマイケル・アーントが書いたのが本作。

マイケル・アーント② | スタジオポノックオフィシャルブログ Powered by Ameba

 この作品は、リトル・ミス・サンシャインという美少女コンテストへ出場する家族を描いたロードムービーだ。

 ロードムービーは孤独を描く映画だ。車に乗る人々は社会から隔絶されている。この映画に登場する家族の一人ひとりも、社会からなんらかの形で隔絶されている。父は出版社から企画を断られ、兄は色覚異常で憧れのパイロットにはなれないことが判明する。伯父は自殺未遂をしたばかりだし、祖父はヤク中だ(そして『怒りの葡萄』よろしく彼は死ぬ)。

 こうしたエピソードが積み重ねられた果てに、ついに美少女コンテストに出場するわけだが、そこで明らかになるのが圧倒的な実力差。末っ子の前に絶望が立ちふさがっていることを目にした家族はついに団結をする。いい話や。

 

 『オデッセイ』も孤独を描いた映画だが、やはり人類の団結を描いている。ポイントは家族のような小規模な団体の結束ではなく、人類規模の結束だという点だ。

 となると、似たテーマでも全く異なったアプローチが必要になってくる。人類規模の結束が必要になるのは、ビッグプロジェクト。それも宇宙プロジェクトということになろう。宇宙は閉鎖空間、孤独の世界でもあるから都合がいい。

 というわけで、火星に取り残された男の物語が生まれた。火星じゃなくて宇宙船でも良いのでは?という発想から生まれたのが『プロジェクト・ヘイル・メアリー』である。(知らんけど。)

 

 『天使にラブソングを』もある意味では閉鎖空間を描いている。修道院に繁華街で歌手をやっていた女が闖入する。異質な世界の住人たちが音楽によって繋がっていき、互いに変容していく。

 ここでウーピー・ゴールドバーグが修道女たちを殺しまくれば『エイリアン』が生まれる。異なる文化が衝突すれば、物語は生まれるのだ。

 ウーピー・ゴールドバーグが修道女たちを皆殺しにせずにすむのは、音楽があったからだ。さらに団結を深めるのがやはりビッグプロジェクトの存在である。

 個人的には、主人公たちが音楽を作り上げていく過程をもっと描いてほしかったなあという思いはある。面白かっただけに。

東京経済オンラインのアクセスランキングを元に、優れたタイトルの要素を考える

 名著『2016年の週刊文春』に次のようなことが書いてあった。

「編集者に一番必要なのは企画力だ」「プランとは、つまりはタイトルのことだ」

 というわけで、今日はタイトルについて考えてみたい。優れたタイトルとはどのような要素で構成されているのか?

 まずは優れたタイトルを収集せねばなるまい。今回は、東京経済オンラインの月間アクセスランキングをもとに考えてみよう。

アクセスランキング | 月間 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

 2024/2/12のランキングは次のようになっている。

  1. ヴィレヴァンが知らぬ間にマズイことになってた
  2. ドイツ人が「無料でも」お茶や水の提供を断るなぜ
  3. 松本人志氏追い込む文春報道に見えてきた”異変”
  4. 「ゴミ屋敷のくぼみに寝る」母親が救われた瞬間
  5. 「入社が難しい有名企業ランキング」トップ200社
  6. 6万人減も「2035年人口減少数」関東市区町村350
  7. 「松本ずっと嫌いだった」投稿をそう軽視できぬ訳
  8. 妻の転勤帯同で「主夫になった夫」が味わった窮地
  9. レゴランド炎上、冷静に見て何がマズかったのか
  10. 「ストロング系」毎日10缶飲んでた私に起きた異変
  11. 「財務力が強い上場企業ランキング」トップ300
  12. 冷凍ブロッコリー「水っぽくならない」超ラク解凍
  13. 首位は半減「2035年人口減少率」関東市区町村350
  14. 「セクシー田中さん」悲しい出来事の裏にある現実
  15. 松本人志氏の性加害疑惑対応にみる「空気の変化」
  16. 宝くじ「高額当選続出」という売り場のカラク
  17. ポケモン似?バク売れ「パルワールド」色々ヤバい訳
  18. 上位2社は1兆円超「金持ち企業」ランキング300社
  19. 「結婚猛反対にあう道長」の才能見抜いたある女性
  20. 7兆円超えも「借金の多い企業」ランキング300社
  21. ハイブリッド車」やけに復活している2つの理由
  22. アサヒが撤退「ストロング系」はなぜ広がったのか
  23. チェコに登場、欧州初「中国製電車」数々の問題点
  24. 植物状態の夫」が終末期病棟で迎えた意外な最期
  25. 春節「日本に行くのやめた」中国人達が”集まる国”
  26. ドーミーインが「夜鳴きそば」を提供し続ける理由
  27. 40代で「資産35億」築いた男の脅威の”ドケチ時代”
  28. 「不適切にもほどがある!」世代で生じる”温度差”
  29. 実写化「ゴールデンカムイ」驚嘆の感想で溢れる訳
  30. 小さな高級車「日産オーラ」を買っている人物像

謎を提示せよ

 現実ベースで作成された記事もフィクションも、人の心を動かさねばならないという点では変わらない。フィクションで観客を引き付ける手法としてよく用いられるのが謎だ。東洋経済オンラインでも、謎の提示が多用されている。

 謎と言っても色々あるが、ミステリー小説的分類をするなら「フーダニット」「ハウダニット」「ホワイダニットの3種類があるが、ダントツで多いのがホワイダニット系タイトルだ。

ホワイダニット

 シンプルに、タイトルの中で使われている言葉を使って抽出してみよう。

  • ~訳:3件
  • ~理由:2件
  • ~なぜ~:2件

 7/30≒23%が、ホワイダニット、すなわちある事実を導く理由が謎の主題になっている。

 では、いったいどのような事実の理由を問うているのだろうか?

 改めて、当てはまるタイトルを並べてみよう。

  • ドイツ人が「無料でも」お茶や水の提供を断るなぜ(A)
  • 「松本ずっと嫌いだった」投稿をそう軽視できぬ訳(B)
  • ポケモン似?バク売れ「パルワールド」色々ヤバい訳(C)
  • ハイブリッド車」やけに復活している2つの理由(B)
  • アサヒが撤退「ストロング系」はなぜ広がったのか(C)
  • ドーミーインが「夜鳴きそば」を提供し続ける理由(A)
  • 実写化「ゴールデンカムイ」驚嘆の感想で溢れる訳(B)

 こうして見てみると、三つのパターンがある。一つは論理的に導き出される答えと矛盾する事実。これをAパターンとする。もう一つは、社会的潮流に逆行する事実。これをBパターンとする。最後に、適切でない方法で社会的潮流を生み出してしまった事実。これをCパターンとする。

レッツトライ!

 それではタイトルづくりを実践してみよう。まずはAパターンから。

  • 1万年と2千年前から愛し続けてきた相手と結婚したのに一ヶ月で破局した訳
  • 無料で納豆ご飯を食べられる食堂に一人も客が訪れなかった理由
  • 最寄り駅から車で5時間……限界集落のレストランになぜ行列が絶えないのか
  • カピバラのうんちはなぜ良い匂いがするのか

 な、なんだかちょっとそれっぽい気がする……!

 次はBパターン。

  • 驚異の喫煙率100%……若者の間で喫煙が流行っている訳
  • 何度干されてもあの芸能人が不倫をし続ける理由
  • アメリカ議会はなぜウクライナを支援しないのか

 次はCパターン。

  • サッカーマニアによる解説動画も……かまいたち山内のプレーが絶賛された訳
  • 下ネタまみれの「マサ内藤の架空チャンネル」が登録者数13万人を獲得した理由
  • 衰退する猫ミーム「チピチピチャパチャパ」はなぜ広がったのか

 それっぽい。それっぽいぞ!

 この調子で分析を進めていこう。

フーダニット

 続いて、フーダニット式のタイトルも目につく。以下が私がフーダニットだと考えるタイトル群である。*1

  • 松本人志氏追い込む文春報道に見えてきた”異変”
  • 妻の転勤帯同で「主夫になった夫」が味わった窮地
  • レゴランド炎上、冷静に見て何がマズかったのか
  • 「セクシー田中さん」悲しい出来事の裏にある現実
  • 松本人志氏の性加害疑惑対応にみる「空気の変化」
  • 「ストロング系」毎日10缶飲んでた私に起きた異変
  • チェコに登場、欧州初「中国製電車」数々の問題点
  • 小さな高級車「日産オーラ」を買っている人物像
  • 植物状態の夫」が終末期病棟で迎えた意外な最期
  • 「不適切にもほどがある!」世代で生じる”温度差”
  • 春節「日本に行くのやめた」中国人達が”集まる国”
  • 「結婚猛反対にあう道長」の才能見抜いたある女性

 これはホワイダニットでは?と思われるものもあるが、そもそも「誰がやったか」と「なぜやったか」は不可分だ。したがって、何を問うているかではなく、問いの立て方によって両者を区別しようと思う。

 端的に言えば、フーダニットは答えが名詞(あるいは単語)になる問い、ホワイダニットは答えが文になる問い、とここでは定義する。また、ミステリー小説の犯人は基本的に人間だが、ノンフィクションの記事は犯人ばかりを考えるものではないので、本来は”What done it?”(ワダニット)とでも言うべきであろう。

 フーダニットは、ホワイダニットと異なって、フーダニットであることを示す言葉が必ずしも存在しない。「何が」というワードを入れているのは11タイトル中1である。

 多くのタイトルの共通点は体言止めだ。そして、その体言をより詳細にしたものこそが問いの答えになる。逆に言えば、体言止めの体言は、答えをやや限定するもののなおいくつかの選択肢を残す程度の、曖昧なものとなる。おそらく、そのようなバランスを取れない場合に「何が」を使って問うことになるのだろう。

 では、体言を修飾する部分に共通点はあるだろうか。若干の主観が交じるが、どれも罪と罰に関わるものだ。罪といっても、犯罪とは限らないし、なんなら倫理に反することとも限らない。多くの読者が抱えている身勝手な思いに反することであればよい。

 たとえば、「妻の転勤帯同で「主夫になった夫」が味わった窮地」は、夫は主夫になるべきではない(と少なからぬ人間が思っている、あるいは思っているのではないか?と思っている)から罪に関わるものだ。念のため言っておくと、私は主夫になるべきではないと思っていないし、なんならなりたい。

 「小さな高級車「日産オーラ」を買っている人物像」は、高級車はでかくて高いべきなのに小さくして安く済ませようとしているのがけちくさいから罪。そういうノリである。でも、きっと少なくない人がコンパクトで自分にも手が届きそうな高級車なら買ってみたいと思っている。罪は欲望とも密接に関わっている。

 だいたいのタイトルは罪っぽいものを提示して、答えに罰っぽいものが来ることを予感させる。だが、その逆もある。

 「「植物状態の夫」が終末期病棟で迎えた意外な最期」がそれだ。罰といってもなにか悪いことをした報いである必要はない。(運命による)理不尽な仕打ちを受けることは、神からの理不尽な罰に等しい。本来なら罪に対して罰があるべきだが、今回はたぶん罪がない。それならば、誤った罰に対して相応の報いがあるべきではないか? 意外な最期とは罪の逆、祝福であることが期待されるわけである。

レッツトライ!

 さあ、フーダニット形式のタイトルづくりにチャレンジしてみよう。

  • 緑色になった豚肉を炒めて食べた男の末路
  • 10年間掃除しなかったズボラ男の家に現れた生物
  • コンビニで傘を盗まれた女子高生に待っていた贈り物

 まあ、悪くはないだろう。

ハウダニット

 ハウダニットはそんなに多くない。ハウツー系はこれに当たるはずだから意外だ。

 サンプルが少ないので法則は読み取れない。というか「宝くじ」に関しては作りがホワイダニットと同じなので、純粋なハウダニットのサンプルは一つしかない。

 直球でハウツーものの「冷凍ブロッコリー」の記事だが、ブロッコリーは最近指定野菜に追加されることが決まった話題の野菜であることが上位に入った理由だろう。トレンドを取り込むことがポイントである可能性はある。

レッツトライ!

 法則がわからないのでやってみてもしょうがない気がするが、一応自分でも作ってみよう。

  • アメリカ大統領選挙」世界の命運を決める戦いを勝ち抜く方法
  • 「フーシ派攻撃」超危険紅海を安全通行
  • 「セクシー田中さん」原作者が映像業界から作品を守るワザ

 こんな感じか? わからない。

ランキング

 日本人はランキングが大好きだ。これは昔から変わらない。相撲には番付が採用されていたし、その延長線上には温泉の番付なんかもあった。たしか。

 公式な制度としては五山十刹なんかがあるし、貴族の職位なんかもランキングといってもいいかもしれない。だからであろうか、人気記事のランキングのテーマは社会的地位に関わるものばかりだ。つまり、人間が所属するものがお題になりがちである。

  • 「入社が難しい有名企業ランキング」トップ200社
  • 6万人減も「2035年人口減少数」関東市区町村350
  • 「財務力が強い上場企業ランキング」トップ300
  • 首位は半減「2035年人口減少率」関東市区町村350
  • 上位2社は1兆円超「金持ち企業」ランキング300社
  • 7兆円超えも「借金の多い企業」ランキング300社

 それからランキングの数がかなり多いところも特徴だ。これはそもそもこのランキングを作る目的が「入社する会社を決めるため」「引越し先を決めるため」であることと、ランキングに関係する人口を増やすためではないかと思われる。

(ただ、東洋経済オンラインというサイトに掲載されているランキング自体が偏っている可能性があるため、以上に書いたことは普遍的な法則ではないかもしれない。)

レッツトライ!

 一応作ってみよう。東洋経済の真似をして企業と自治体で攻めても面白くないので別の所属で考えてみる。

  • 「就職に有利なサークルランキング」トップ200
  • 「長寿に寄与するコミュニティランキング」トップ300
  • 「生涯年収を高める習い事ランキング」トップ350

 こんな感じ……か?

その他

 余ったのが以下の三つ。

  • ヴィレヴァンが知らぬ間にマズイことになってた
  • 「ゴミ屋敷のくぼみに寝る」母親が救われた瞬間
  • 40代で「資産35億」築いた男の脅威の”ドケチ時代”

 まあ読む者次第で謎があるにはあるが、少なくともタイトルで明示はされていない。

 これらのタイトルには物語性がある。(フーダニットに分類した「道長」の記事もここに分類した方がよい気がする。)

 ポイントは二つあって、登場人物(法人含む。)がいること、変化があることだ。

 「ヴィレヴァンが知らぬ間にマズイことになってた」の登場人物はもちろんヴィレッジヴァンガードくんであり、「久々に会ったヴィレヴァンくんはかつての輝きは見る影もない姿になっていた……」といった感じの趣がある。もちろんこれが成立するのは、みんなの心の中にヴィレヴァンくんがいるからだ。

 そういう共通認識のない人物が登場する場合、人物紹介がある。「「ゴミ屋敷のくぼみに寝る」母親」、「40代で「資産35億」築いた男」みたいな。おそらく、この人物紹介は物語の先行き(変化後)を示唆するものでなければならない

 そして、人物紹介の後に物語の先行きのおおまかな方向性が示される

 たとえば、ゴミ屋敷マザーという登場人物には、ゴミ屋敷マザーになるに至るまでの過去とゴミ屋敷から脱する未来が内包されている。これのいずれかを示せば、そこに物語性が生まれる。

 資産35億男もやはり、資産35億を築くまでの過去と資産35億を気付いた後に没落する未来が内包されている。今回の記事は前者についての物語であることが示されている。

レッツトライ!

 さあ、自分でも作ってみよう。

  • 久々にプリクラを撮ったら祖母の霊が映り込んでいた
  • 高所恐怖症の男がパイロットになった瞬間
  • 日産スタジアムを埋めた歌手の路上シンガー時代

 いやけっこういいんじゃないかこれ。

まとめ

 ということで、今回の学びをまとめてみよう。

  • 非論理的に見えることがあったらなぜ?を問おう。
  • トレンドに逆らう事象があったらなぜ?を問おう。
  • 良くないと感じるものがトレンドになったらなぜ?を問おう。
  • 罪と罰に関する話題は体言止めでクイズ形式にしよう。
  • ハウツーはトレンドを取り込むべき……か?
  • ランキングは社会的地位と所属に関わるもので、数はなるべく多めに。
  • 物語性のある登場人物を立てよう

 ただし、これはあくまで東洋経済オンラインの直近一ヶ月のランキングを見た結果にすぎない。時期を変えればまた全然違う結論が見出されるかもしれないし、サイトを変えてもやはり異なる結果が出るかもしれない。

 たとえば、文春オンラインのランキングを見ると、また違う雰囲気がある。文春の基本戦略は「有名人+性or金or罪」で表せそうだ。この式から導き出されるベストが有名人のスキャンダルだが、

独身生活を謳歌する皆藤愛子は「一人暮らし満喫女子」 事務所で20年でも変わらないキレイの秘訣は?

みたいな有名人単品もあれば、

「ちょっとHな大人のディズニーランド」滋賀県の“ナゾの歓楽街”「雄琴」には何がある?【これぞ男の夢の世界】

のように性or金or罪単品もある。

 

 ちなみに、今回の記事はどれにも当てはめようがないなーと思ったのでAIに付けてもらった。

 無理やり当てはめるなら

「タイトルを考えずにブログを書き出した男の末路」

といった感じか。なんかそれはタイトル詐欺っぽい気がする。

 なるほど。プランとは、つまりはタイトルのことなのか。

*1:ホワイダニットより多いのに2番目にしたのは、当初は6件だけのつもりだったからだ。書いているうちにこれもフーダニットだなとなって、結果ホワイダニットより多くなった。

『アクロイド殺し』と『方舟』と『爆弾』

 『アクロイド殺し』と『方舟』と『爆弾』を読んだ。いずれもミステリー小説である。

 以下、ネタバレを辞さないので未読の方は注意していただきたい。

 

 『アクロイド殺し』はミステリィの女王アガサ・クリスティの傑作。

 ある晩、田舎の富豪アクロイドが自宅で刺殺された。同日から彼の義理の息子ラルフが姿を消す。アクロイドの義理の姪フローラは、名探偵ポアロにラルフの潔白を証明するよう依頼する。

 

 『方舟』は夕木春央の小説。

 9人の青年たちが山奥の地下施設に閉じ込められた。彼らが脱出するには誰か一人を犠牲にしなければならない。水没していく施設。残された時間は少ない。そんな最中に殺人事件が発生する。

 

 『爆弾』は呉勝浩の小説。

 軽犯罪で逮捕された男スズキタゴサクが、取調べ中、不意に爆破事件を予言する。予言のとおりに事件は発生し、タゴサクはさらなる事件の発生を告げる。

 

 ミステリーにおいて重要な役が四つ存在する。

  • 名探偵
  • 助手
  • 犯人
  • 無能な警察

 そして、ミステリーにおいては、名探偵と犯人の距離が面白さに密接に関わってくる。安楽椅子探偵を除いて、距離は非常に近くなければならない。

(なんか偉そうに語っているが、私はミステリー小説をそこまで読んでいないので話半分に読んでいただきたい。)

 

 まず、『アクロイド殺し』では名探偵はエルキュール・ポアロである。そして、失踪したラルフをアクロイド殺しの容疑者として追いかける警察は、お約束どおり無能を演じる羽目になっている。

 では犯人は誰なのかという話だが、その前に、『アクロイド殺し』はクローズドサークルではない。つまり、アクロイドの館には誰もが侵入できたため、容疑者を絞ることは難しい。ここでアガサ・クリスティはその時間に現場付近にいた正体不明の男を登場させ、もし館の外の人物が犯行に及んだとすればこいつが犯人であるという人物を用意する。これによって、犯人の候補は擬似的に限定されることになる。

 クリスティはアクロイドの館にいた7人の人物とラルフ、謎の男の9人を犯人候補として読者へ提示する。それぞれの怪しさはおおむね均等であり、誰が犯人であってもおかしくない。まあ、無能な警察に容疑をかけられるラルフと謎の男は犯人ではないだろうと予測は立つだろうが……。怪しさは犯行が可能であったことのほかに、アクロイドの死によって得た利益と、不審な言動によって醸し出される。ちなみに、利益の大きさは、客観的な数値ではなく、利益の受け手がそれをどのくらい必要としていたかで決まる。

 さて、ここで重要なのは「誰が犯人だったら面白いだろうか?」という問いである。もし怪しさが均等でなければ、最も怪しくない人物が犯人であるのが一番面白い。だが、今回は誰もが均等に怪しいのだ。

 ミステリーの面白さを決定づけるのは名探偵と犯人の距離だ。これらの人物の中でエルキュール・ポアロに最も近い人物は誰だろうか?

 それは名探偵の助手。物語の語り手だ。かくして、『アクロイド殺し』では叙述トリックが用いられることとなる。

 犯人が用いたトリックはシンプルだ。音を使ったアリバイ工作が二つ。ところが、各々の登場人物が別の思惑で偽装工作を重ねていく。それによって事件は複雑化していく。さらに、クリスティは、金銭トラブルや色恋沙汰や下衆な噂話といった、謎以外の面白みを小説に与えているところも決して忘れてはならない。

 

 対して、『方舟』はクローズドサークルだ。犯人候補は最初から限定されている。

 特徴的なのは、時間制限があること、そしてなによりも登場人物が脱出するためには誰かが犠牲にならなければならないという設定だろう。

 犯人にとって殺人は百害あって一利なしのはず。なのに、なぜ犯人は殺人の罪を犯したのか?

 限定的な状況もあってか、『アクロイド殺し』に比べると謎以外の面白みが薄い。これは容疑者の描写の濃淡(≒名探偵との距離)に関わってくるので、結果として犯人はバレバレになる。だが、その欠点を補ってあまりあるほどに、この謎は強力だ。謎は「なぜ犯人は殺人の罪を犯したのか?」だから、「誰が殺したのか」はさして重要でもない。

 実は最も重要なのは、無能な警察が登場しないことだ。見当違いの人物が疑われる場面がほぼ存在しない。……かのように見える。クライマックスまでは。

 この小説では最後の最後に、名探偵の推理が大外れであったことが明かされる。名探偵は「誰が殺したか」の正解は出せたが、「なぜ殺したか」の正解は出せなかった。

 『アクロイド殺し』では助手=犯人だったが、『方舟』では名探偵=無能な警察だったのだ。これがこの小説の最大の仕掛けである。

 

 『爆弾』も「なぜ罪を犯すのか」を謎として提示する小説(ホワイダニット)だ。犯人は最初からほぼ明らかにされている。表面上は「スズキタゴサクは次にどこを狙うか?」を巡ってストーリーは進むが、読者にとって重要なのはあくまで「スズキタゴサクと過去に自殺した刑事の関係性は?」という謎だ。

 そして、この小説もやはり名探偵と犯人の距離が非常に近い。なんせずっと取調室の中で対峙しているのだから。作者の筆力が問われるに違いないが、名探偵と犯人が顔を突き合わせて話す場面の緊迫感がこの小説の肝だ。

 また、無能な警察VS犯人を経て、名探偵VS犯人へと移行するのもセオリーどおり。

 では、この小説の特徴がどこにあるかというと、名探偵が安楽椅子探偵であることだ。事件現場に赴かず話を聞いただけで事件を解決してしまう安楽椅子探偵は、犯人との距離が遠いのが通常だ。代わりに、安楽椅子探偵の手足となって動く助手が犯人に接近する。だが、この小説ではそれが逆転している。助手は現場へ赴き犯人から離れ、名探偵は取調室から出ることなく犯人と対峙している。

 

 というわけで、セオリーを踏襲しながら、セオリーから外れる。これが名作の秘訣だ。

 そして、セオリーとは

  • 名探偵
  • 助手
  • 犯人
  • 無能な警察

の四人を用意することと、名探偵と犯人の距離は極端なものにすることである。トリックは必須要素ではないというところがミソだ。

『マイ・フェア・レディ』と『プリティ・ウーマン』について

 『キューティ・ブロンド』と間違えて『プリティ・ウーマン』を観た。『マイ・フェア・レディ』と間違えて『ティファニーで朝食を』を観た。

 

 それはともかく、『プリティ・ウーマン』と『マイ・フェア・レディ』について語っていきたい。

 この二つの映画はどちらも、富める男が貧しい女性を援助して成り上がらせるというのがストーリーの骨格になっている。

 これらの物語の原形は『シンデレラ』である。社会的地位の低い女性が変身をして、そのポテンシャルを発揮するというところが肝だ。『シンデレラ』では魔法の力で変身を果たしたが、『マイ・フェア・レディ』や『プリティ・ウーマン』では現実的な方法で変身しちゃおうというのがミソである。発想としては、死んだ恋人の復活を現実的な方法でやり遂げた『めまい』と同じだ。

 『プリティ・ウーマン』に関して言えば、そのまんま、金持ちがドレスを着せてくれて周囲からの目も本人の自意識も変わるという手法を取っている。

 『マイ・フェア・レディ』についてもドレスで着飾る要素はあるのだが、メインの変身の手法は発音の矯正だ。映画の冒頭で現れた謎の男が、「まともな英語の発音ができればお前でもまともな仕事に就けるだろうに!」と嫌な感じの歌を歌うところからスタートする。男は音声学の教授なのだが、ヒロインは彼に師事することにする。漠然とした閉塞感を打ち砕く意外な道(ランチェスター戦略において注力すべき領域)を指し示した点と、努力と根性でどうにかできる点が面白い。

 さらに、魔法には時間制限がある点も『シンデレラ』にならっている。

 『プリティ・ウーマン』は2週間の間だけ金持ちの恋人として振る舞うという契約が締結される。言うまでもなく、2週間後には本当の恋に落ちている。

 『マイ・フェア・レディ』も女王が列席するパーティで低い身分の女とバレないことが目標として設定される。これまた言うまでもなく、パーティが終わる頃には女と教授は恋に落ちてしまっているという寸法である。

 

 現代日本版のリアルおとぎ話を考えてみよう。

 「アンチエイジングケアを極めた結果、友達がみんな死んじゃったけど私は元気です」みたいな。

 あるいは、「精子提供を受けて体外受精した卵子代理母に子供を産んでもらったら超人が生まれたので、ピットブルと雉とゴリラを調教して外国に攻め込みます」みたいな。

 ……というのは物語の本質を理解せず、ただ要素を置き換えただけの悪い例です。

 もっと、たとえば一寸法師なら、「劣った(とみなされる)身体的特徴を持つ者が優れた身体的特徴を持つ者に、その身体的特徴を使って勝利する話」ぐらいにまで抽象化しなければならない。あれ? そうか。一寸法師は『フォレスト・ガンプ』の原作だったのか。

 ちなみに『ドラゴン桜』は日本版『マイ・フェア・レディ』です。

 

 個人的には、『マイ・フェア・レディ』の方が好きだし名作だと思うのだが、ちょっと長すぎると思わなくはない。

video.unext.jp

『西洋絵画Best100』感想

 『西洋絵画Best100』というムックを読んだ。

 

 

 昨年アメリカ映画ベスト100を観た結果、ベスト100を制覇すると色々な知見が得られることを悟った。ならば次はなんだろうと考えた結果、名画に思い至ったのである。

 前置きはそれくらいにして、読んで思ったことを書き散らしてみたい。念のため書いておくと、下記に記すことは私が勝手に考えたことであって、ムックで解説されているわけではない。

人物画の構成要素

 まず、絵画は人物画と人物画以外に分けられる。人物画以外については、あまりまだ把握しきれていないので、今日は人物画について書いていきたい。ちなみに、人間の姿の神を描いた絵は人物画とみなしている。

 人物画の構成要素は以下の9個が存在する。

  • モデル
  • 題材
  • 表情
  • ポーズ
  • 人数
  • 背景
  • 写実性
  • 技法

 人物画について語りたければ、これらのいずれかに触れておけばいいと言っても過言ではなかろう。

モデルと題材

 モデルとは、文字どおり、描かれている人物のモデルである。画家の恋人とか妻とか不倫相手とか雇い主とかがよくあるパターンだ。あるいは存在しないパターンもあるに違いない。

 題材とは、モデルが演じている役のことである。たとえば、キリストとかマリアとかは題材に当たる。

 宗教画ではモデルと題材が一致することはないが、宗教画以外では一致する場合が多いだろう。宗教画にあまり馴染みがない人は、「モデルと題材が一致しない」の意味がわからないかもしれない。たとえば、デューラーの自画像は題材はキリスト、モデルはデューラー自身である。

デューラー『自画像』

 モデルと題材が分けられるということは、宗教画を必ずしも宗教画として見なくてもよいということだ。聖母子像を見て、「これが聖母マリアか~」と思う必要はなく、「この女の子かわえっ!!」と思ったってよいのである。

表情

 人物画における最重要要素と言ってもよいのが表情だ。特にバストアップのショットなら、ここが良くなければ何も始まらないと言っても過言ではなかろう。

Portrait de Lisa Gherardini, dit La Joconde ou Monna Lisa | Image via Louvre Museum

 表情は大きく分けると、以下の種類があるのではなかろうか。

  • 無表情
  • 笑い
  • 怒り
  • 悲しみ
  • 驚き
  • 苦悶

 もちろんそれぞれ0か1ではなく、笑いだけ取っても微笑から破顔までグラデーションで様々な表情がある。微笑の中にも様々な微笑がある。さらにいえば、笑いと怒りが混ざったような表情、のようにそれぞれが混ざっているものも考えられる。

 印象としては、最も多いのが無表情、次に多いのが微笑だ。つまり、感情が明確な表情は意外と少ない。人間は思っているよりも無表情なことが多いのか、鑑賞者が思いを巡らせるための余白を残しているか、いずれなのかは私には分からない。

ポーズ

 表情の次に重要になるのがポーズである。ポーズは大きく分けると次の三種類が存在する。

  • 立位
  • 座位
  • 臥位(寝そべり)

立位

 立位とは、立っている姿勢のことだ。

 アングルの『泉』は、立位の人物画の理想形の一つであろう。

アングル『泉』

 立位の特徴として、まず画面が縦長になりがちということがある。考えてみれば当たり前なのだが、人物画の縦横比はポーズによって決まる。臥位なら横長になるし、座位は立位と臥位の中間、すなわち正方形に近くなる。(逆に言えば、画面の縦横比があらかじめ決められている場合、ポーズは半自動的に決まると言ってもよいだろう。また、映画は立っている人間の全身を撮るのに不向きだし、漫画はコマ割りによって自在に画面の縦横比を決められる点に優位性があるとか、色々なことがここから考えられる。)

 縦長の画面では背景があまり目立たないことが多い。たぶん遠近法の都合で、縦長の画面では背景の情報量を増やすことが難しいのだろう。逆に、横長の画面では背景が目立つ。より人物にフォーカスを当てるのが立位……というと過言であろうか。

 背景が使いづらい分、ポーズに多様性をもたせやすいのが立位だ。人間は様々な動作をするが、寝たまま行える動作は少ない。

 ちなみに、立位に限ったことではないが、ひねりを加えさせると、人物に色気が出てくる。ひねりがないとまっすぐな人柄、あるいはシチュエーションであることが伝わってくる。アングルの『泉』も、首や腰や膝がくねっていなければ全く違った絵になるはずである。

座位

 座位、すなわち座っている姿勢は、上に書いたとおり画面が正方形に近くなる。臥位ほどではないものの立位よりは背景の情報量が増えるし、動作も付けられる。

クラムスコイ『忘れえぬ人』

 座位においてポイントになるのが、何に座っているかだ。

 まず、『モナ・リザ』のように椅子に座るのが標準だ。これを念頭に置くと、クラムスコイの『忘れえぬ人』は馬車の座席に座っているところが特徴だと分かる。馬車に座っている人は普通、高いところにいるので、見上げる形のアングルになり、表情も独特のものになってくる。あとロシア美人が可愛い。

 だが、人が座るのは椅子だけに限らない。たとえば、ダヴィッドの『サン・ベルナール峠を越えるナポレオン』は馬に座るナポレオンを描いている。

ダヴィッド『サン・ベルナール峠を越えるナポレオン』

 通常、椅子に座っている人に動きはないが、この絵にはかなり躍動感がある。他にもぶらんこなどが人が座るものとして考えられる。

臥位

 臥位とは寝そべり姿勢のことだ。

 寝そべりの基本形はジョルジョーネの『眠れるヴィーナス』だろう。

ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』

 これまでにも書いてきたとおり、寝そべり姿勢は横長の画面になる。(寝そべりなのに横長じゃなかったら、それがその絵画の特徴となる。)横長の画面だと背景の情報量を増やしやすく、絵の中の比重が大なり小なり人物から背景に傾く。

 一方で、矛盾しているようでもあるが、寝そべりは一人の人物にフォーカスするときのポーズでもある。複数の人物が登場する絵、特にかなり多くの人物が登場する絵で寝ている人物はほとんど描かれない。もし描かれるとすれば、その人物はその絵で最も重要な人物であろう。

 座位と違って、眠る場所のパターンは少ない。ほとんどがベッドだ。また、ポーズもほとんど差がない。大きく違いを付けるとしても、仰向けかうつ伏せがせいぜいだろう。

 というわけで、寝そべり絵画の登場人物はだいたい全裸である。人間の美しさを描こうと思ったら、まず第一候補に上がるのが裸なのだ。人間が性淘汰を生き抜いてきた生物である限り、裸の人間を美しいと思うのは自然の摂理なのである。インスタグラムのおすすめが水着の女性ばかりになっても何も恥ずべきことはない。裸の人間は何よりも美しいのだ。絵画において服を着ている人間が登場したら、画家が裸を捨ててでも表現したかったものがあると思っておけば間違いないだろう。

 ということを考えていくと、ミレーの『オフィーリア』の魅力の一端がわかってくる気がする。この絵は臥位でありながら、ベッドでもなく、裸でもない。それでいて横長画面の強みである背景(前景と言ってもいいかもしれない)が美しく、その背景にオフィーリアが完全に溶け込んでいるのだ。

ミレー『オフィーリア』

人数

 これまで一人の人物だけが描かれていることを前提に話を進めてきた。

 実際には、複数の人物が描かれる絵も多い。が、二人だろうが三人だろうが、上に述べたことは変わらない。極端な話、10人の登場人物がいる絵は1人の人物画を10枚合成したものと見ることさえできる。

 ただし、絵の縦横比に関して言えば、人物が二人以上になると普通は横幅が広がる傾向にある。横幅を決めるのは、二人の人物の距離だ。

 また、人物が二人以上になると、関係性やイベントを描くこともできるようになり、表現の幅はぐっと広がる。というか、それを描かない限りは一枚の絵に二人以上を描く意味がないだろう。

 書きながら思ったが、これは歌手についても同じことが言える。乃木坂46は大人数のアイドルグループだが、本質的には一人の歌手兼ダンサーの集合体と見ることも可能だ。だが、人数が多くなればなるだけ個の存在感は薄れていき、代わりに関係性が生まれていくし、これがないのであればグループを形成する意味がない。そしてやはり、人数が多ければ多いほど横に広い画面が必要になってくる。秋元康は『モナ・リザ』より『最後の晩餐』派なのかもしれない。

背景・写実性・色・技法

 ここらへんについてはまだあまり良くわかっていないので簡単に書く。

 背景は大まかに、屋内・屋外・なしに分けられる。屋内では主には壁と調度品で構成され、屋外では空と空の下にある風景で構成されることが多い。空は時間によっても天気によっても様々な表情を見せるから準人物的な要素として捉えてもいいかもしれない。

 写実性には二つの要素がある。一つは解像度、もう一つは現実性だ。一般的に、素人が見てすごいと思う絵(上に挙げたような絵)は両方を備えていることが多い。

 解像度を下げたものの代表例が印象派であるが、現実性を落とすものもある。アルチンボルドが分かりやすい。 (『西洋絵画Best100』では『四季』が選出されていて、下の絵は掲載されていない。)

アルチンボルド『ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像』

 色も重要な要素であることは明らかだが、どう語ればよいのかはよく分からない。とりあえず、光の使い方は色に含めて考えることができそうとだけ書いておこう。

 技法は、遠近法だとか点描だとかが分かりやすいが、やはりどう語ればよいかよく分からない。そもそも油絵であることなんかもここに含まれる。

まとめ

 というわけで、たくさんの*1名画を歴史順に眺めていたら、これまで絵画を見ても思いもしなかったことに気付いた。やはりなんでもベスト100を嗜んでおくと、造詣が少しだけ深くなる気がする。

*1:絵画の100点が「たくさん」と言えるかは微妙だが。

『ゴールデンカムイ』について考える

 『ゴールデンカムイ』の実写映画が昨日公開されたが、観に行く気も起きないので原作の『ゴールデンカムイ』がどういう構造の作品なのかを改めて考えてみたい。

 

 『ゴールデンカムイ』のストーリーを一言でまとめれば「お宝探し」である。しかも宝とは黄金を指す。ここだけ切り取ると、古典的な物語といえる。

 『ゴールデンカムイ』の独自性は、主人公たちが探すべき物が宝それ自体ではなく、宝の地図であることにある。さらにその宝の地図は生きている。人間に入れ墨として描かれているのだ。

 ここで重要なのは、人間はあくまで宝の地図であって、宝それ自体ではないことだ。「宝=人間」の物語もけっこうよくあるパターンだ。この場合、登場人物が宝を手に入れられるかどうかは、宝である人物の心を射止められるかどうかにかかってくることになる。つまり、人間が宝それ自体である場合、武力がそれほど役に立たない。

 ところが、『ゴールデンカムイ』においては、人間はあくまで地図でしかないわけで、なんなら地図が人間の背中に貼り付いているに過ぎない。したがって、武力が極めて重要な意味を持ってくる。宝の探索者は、地図となっている人間(以下では「囚人」という。)の心を射止める必要はなく、殺害してしまえばいいからだ。

 これが登場人物の性格を浮き彫りにする機能を持つ。『ゴールデンカムイ』において、必然的に主要人物は以下の3つのグループに分けられる。

  1. 囚人を人間として扱うグループ
  2. 囚人を物として扱うグループ
  3. 囚人

 当然、主人公たち(=杉元たち)は1番のグループ、敵(=鶴見中尉たち)は2番のグループになり、囚人たちには第3勢力としての役割が割り当てられることになる。

 また、忘れてならないのは、この残酷なシステムを生み出した人間(=のっぺらぼう)が存在することだ。この人物を上記3つのグループのいずれと結合させるのが面白いのか考えれば、順当に考えれば2番のグループになるわけだが、これでは当たり前すぎて面白くない。したがって、1番のグループの一人とのっぺらぼうが強い関係を持つこととなる。

 

 ただし、ここまでの話は『天空の城ラピュタ』と同じである。ラピュタを指し示す飛行石を持っている少女シータを、パズーは人間として扱い、ムスカは物として扱うという構図だ。

 ところが、『ゴールデンカムイ』と『天空の城ラピュタ』は似ても似つかない。両者を分かつものは、囚人の人数だ。

 『天空の城ラピュタ』は映画サイズでストーリーを展開しなければならないためであろうか。いやきっとボーイミーツガールをやりたかったからだろう。囚人に当たる人物はシータの一人であった。

 対して、長期連載を目指していたであろう『ゴールデンカムイ』は囚人を複数用意した。散らばった複数の囚人を追いかける話を展開するとなると、必然的に主人公たちは長期的な旅をすることになる。物語がロードムービーめいてくるのである。

 ロードムービーにおいて重要なのは「拠点がない」ということだ。それは主人公たちの孤独を表すことになる。

 したがって、主人公である杉元佐一とアシリパは孤独な身の上にあり(もちろん孤独の度合いはそれぞれ異なる。)、旅の中で二人は家族になっていく。これを象徴するシーンとして『ゴールデンカムイ』にはグルメ漫画のような食事シーンが挿入されるというわけだ。

 敵対する鶴見中尉グループまで同様の存在として描くかどうかは判断が分かれてよいところであろうが、作者は彼らも孤独で家族的なグループとして描くことにしたようである。結果的に、杉元グループと鶴見グループが対比されることで物語の深みが一層増したのではなかろうか。囚人を人間として捉えるか物として捉えるか、という両者の基本的なスタンスの違いがここで効いてくるのもポイントだ。

 ここで『黄金』のことを思い出してみると、あの映画の中で黄金は人間関係を破壊するものとして描かれていた。分不相応な富が人生を破綻させるというのは一般的な観念でもある。人類にとって最も基本的な人間関係は家族であるから、黄金と家族は強く結びついていると考えることもできる。そういうふうにして考えていくと、『ゴールデンカムイ』が家族を巡る物語となった(=鶴見グループも孤独な人間たちによる家族的な組織となった)のはむしろ必然かもしれない。

 ただ、この点を踏まえてもなお、結局『天空の城ラピュタ』と被ると言えないわけでもない。パズーやシータだって孤独な存在だったわけで、彼らも家族経営の海賊団と合流している。結局のところ、『ゴールデンカムイ』を『ゴールデンカムイ』たらしめているのは日露戦争直後という時代設定だとかヒロインをアイヌにしたことだとかにある、ということもできる気はする。

 

 以上をまとめると

  • 宝の地図が人間に彫られていること
  • 宝の地図が彫られた人間が複数人いること

この二つの要素が『ゴールデンカムイ』の大まかな骨格を形作っているということが言えそうな気がする。もちろん上記の要素を備えながらも『ゴールデンカムイ』と構造的に全く異なる作品を作ることも可能に違いないが、おそらくたぶんきっと『ゴールデンカムイ』ほどの完成度には至らないだろう。

 それだけ『ゴールデンカムイ』は精緻な構造をしているわけだが、もしかしたら映画と違い長期連載の漫画にとって、これは逆に欠点となりうるのかもしれない。というのも、『ゴールデンカムイ』には第4の勢力として、尾形百之助が登場するからだ。彼の目的は物語の終盤まで明かされず、そのポジションが曖昧だ。彼が場をかき回してくれるおかげで、先の展開が読めなくなる。もちろん尾形は家族というテーマに関わる人物なのだが、黄金獲得競争の要素からは彼の存在は導き出せない。実に面白いキャラクターだ。

1939年のクーデレ映画『ニノチカ』

 『ニノチカ』は1939年の映画。監督はエルンスト・ルビッチ。脚本はチャールズ・ブラケットビリー・ワイルダーワルター・ライシュ。主演はグレタ・ガルボとメルヴィン・ダグラス。

 

 『ニノチカ』はクーデレ萌え映画である。

 ニノチカというのはヒロインの愛称。ニノチカことニーナ・ヤクショーバは、ロシアの大公女がかつて所有していた宝石を巡る裁判を戦うために、ソ連から派遣されてきた特別全権大使である。ソ連の役人がパリで大公女の宝石を売って金にしようとしていたところ、当の大公女がそれを見つけて所有権を主張し訴訟に至った次第である。

 ニノチカと出会うのは、大公女の代理人であるレオン伯爵。彼はニノチカが自分の敵であるとも知らず、パリの街に似つかわしくないお硬い彼女にハートを射抜かれてしまう。

 レオンはニノチカをジョークで笑わそうとするが、ユーモアのセンスがない彼女はニコリともしない。漫才ではボケが笑わないことが肝心だ。ツッコミ役のレオンは徐々にキレていくが、最終的には彼の天然が炸裂し、ニノチカ吹き出してしまう。このボケとツッコミが鮮やかに入れ替わる漫才の構成は、さや香を彷彿とさせる(ということにしておく)。

 結局、ニノチカはレオンにぞっこんになる。二人の関係は社会的立場により引き裂かれてしまうが、最終的には再会を果たす。ちゃんちゃん。

 ともかく、『ニノチカ』の見所が、鉄面皮の美女が笑う瞬間にあることは間違いない。これは日本のアニメで言えば、『新世紀エヴァンゲリオン』における綾波レイの「笑えばいいと思うよ」シーンに相当する。最初はクールだったキャラが徐々にデレていくのに萌えることをクーデレという。クーデレの源流がどこにあるのか私には分からないが、遅くとも『ニノチカ』の時点で現象としては発見されていたようである。

 クーデレのヒロインは通常、常軌を逸したクールさを持っていなければならない。だから、クールであるのには理由があることが多い。主人公の母の肉体をベースにした人造人間であるとか、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースであるとか、何度も悲劇の人生を繰り返して友人の死を見届けてきた過去を持つとか……。

 ニノチカの場合は元軍人の共産主義者であるのがクールさの理由になっている。なんだか上に挙げた例に比べると弱い気もするが、下の方程式を成り立たせることができれば理由なんてなんでもいいのだ。

  1. ヒロイン=クール
  2. X=クール
  3. ヒロイン=X

 軍人というのは過酷な状況でも冷静な判断ができないといけない。つまり有能な軍人というのはクールなものなのだ。少なくともそういうイメージがある。

 さらに、共産主義者は一部を除けば貧しいわけだが、そこには自ら望んで貧しくなっている面もある。誰もが平等であるためには、自分だけ豊かでいてはいけない。笑うことは豊かなことなので、豊かさの対極にいる共産主義者にはクールなイメージがある。

 当時はソ連が成立して間もない時期だったから、共産主義者は新しくてホットな人物像だった(クールなのに)。

 ここで、現代ならどんなXが新しくてホットであろうかと考えてみよう。

 一つの解としては、柳井正がありうる。株式会社ファーストリテイリング代表取締役社長である柳井正には厳格な人物のイメージがある。そして、ファーストリテイリングは世界一のアパレル企業に上り詰めようとしている。ホットでクールだ。

 では柳井正をヒロインにした映画は良きクーデレ映画になりそうだ。実はそれに似た映画はすでにある。『プラダを着た悪魔』である。二番煎じであることを承知で映画製作に取り組むなら、タイトルは『エアリズムを着た悪魔』か……。ありかもしれない。

 

 ここではたと気付く。

 ニノチカは貧しいからクールなのであった。一方、柳井正は金持ちであるからクールなのであった。つまり、富の尺度で言えば両極にある二人の人物が、共にクールだというわけである。ということは、クールの反対=デレ=笑いは、貧しさと豊かさの中間にこそ存在する、ということが言えるかもしれない。