YOASOBIの「優しい彗星」の中に『雪国』を感じたのでそれについて書く。
今、静かな夜の中で無計画に車を走らせた
実に印象的な冒頭だ。この短い文の中に物語がある。
車を運転する時、普通は目的地がある。
しかし、今回は「無計画に」走らせる。
テンションが高まって暴走しているわけではない。
「静かな夜の中」なのである。
いったい何があったのか。車はどこへ向かっていくのか。
そういった想像を喚起する一節である。
ここに『雪国』を感じる。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。
共通点は乗り物に乗っていることだ。
乗り物に乗っている人(から見た景色)にフォーカスする描写には、考えてみると面白さがある。
というのも、カメラは一人の人物を捉えている。
その人物はじっとしている。
にも関わらず、背景は動いている。動いているから空間に広がりが出る。
そこに静と動の、点と空間のコントラストが生まれる。
しかも、夜だから空間の果てが見えない。
広大で揺動する世界の中で、ぽつねんと存在する個人が浮かび上がってくる。
再び「優しい彗星」に戻る。
左隣、あなたの横顔を月が照らした
(以下、句点がない文が「優しい彗星」、句点がある文が『雪国』からの引用である。)
運転手以外に、もうひとりの人物が存在することが語られる。
乗り物の中というシチュエーションにおいて、極めて重要なアイテムが窓だ。
もし乗り物に窓がなければ、その乗り物は単なる密室でしかない。
乗り物の中でじっと座っている人物と、揺れ動く世界を繋ぐものが窓なのだ。
外に広がる世界が、中にいる人物と窓を介してなんらかの繋がりを得る瞬間。
そこにはなんともいえない叙情性がある。
そのことを美しく描いている『雪国』の中の文章が次である。
鏡の底には夕景色が流れていて、つまり写るものと写す鏡とが、映画の二重写しのように動くのだった。登場人物と背景とはなんのかかわりもないのだった。しかも人物は透明のはかなさで、風景は夕闇のおぼろな流れで、その二つが融け合いながらこの世ならぬ象徴の世界を描いていた。殊に娘の顔のただなかに野山のともし火がともった時には、島村はなんともいえぬ美しさに胸が顫えたほどだった。
※鏡とは、車窓のこと。主人公の島村は、窓に写った女性(葉子)を眺めている。
※顫えた=震えた
ただ、思い出を探る様に
辿る様に言葉を繋ぎ合わせれば
どうしようもなく溢れてくる
日々の記憶
あてもなく走る車に乗る二人は、語り合ううちに思い出が蘇ってくる。
『雪国』は主人公・島村の泊まる宿に日々、駒子という芸者が通ってくるという形で交流が進む。
その中で、駒子の過去に島村は触れていく。
過去を振り返るのはほぼ確実に何らかの感情を伴う行為である。
だから過去を語るというのはそれ自体エモいのだ。
加えて、今から意識を離すことで、時間的な広がりを作品の中に生み出す機能も果たしている。
あなたのそばで生きると決めたその日から
少しずつ変わり始めた世界
(中略)
深い深い暗闇の中で出会い共に過ごしてきた類のない日々
心地よかった
いや幸せだった
たしかにほら救われたんだよあなたに
出会いが人を変える。
良くなかった人生が少しでもマシなものになれば、それは特別な出会いになる。
『雪国』では、出会いによって人生が好転しているか疑問だけれども、駒子の暗い人生に一つの慰みが到来したことはたしかだ。
ふぁずかな光を捉えて輝いたのは
まるで流れ星のような涙
不器用な命から流れてこぼれ落ちた美しい涙
別れの瞬間は切ないものだ。
切ないからこそ、それは星のような美しさを放つ。
『雪国』も星の描写で最後の一文を飾っている。
踏みこたえて目を上げたとたん、さあと音を立てて天の河が島村のなかへ流れ落ちるようであった。
強く大きな体に秘めた優しさも
どこか苦しげなその顔も
愛しく思うんだ
見た目と内面にギャップがあることが人物の性格をより浮き彫りにする。
粗野なライオンたちの中にいる知的で穏やかなイブキは分かりやすい。
『雪国』の駒子は、一人のか弱い女性が見た目どおりにか弱い存在として描かれている。
だが、その態度は哀れみを覚えさせるものではなく、あっけらかんとしている。
このギャップに触れた一文を『雪国』から引用する。
駒子の肌は洗いたてのように清潔で、島村のふとした言葉もあんな風に聞きちがえねばならぬ女とはとうてい思えないところに、かえって逆らい難い悲しみがあるかと見えた。
無情に響く銃声が夜を引き裂く
別れの息吹が襲いかかる
刹那に輝いた無慈悲な流れ星
祈りはただ届かずに消えた
この、手の中で燃え尽きた金色の優しい彗星を
美しいたてがみを暗闇の中握りしめた
ここまで過去を懐かしみながら、今の美しい情景を歌ってきた。
それが暴力的な結末を迎える。
死から免れた登場人物は、暴力の残骸をただただ抱きしめる。
『雪国』でもこれは同様だ。
ラストは唐突に繭倉が炎上し、その中から葉子が落下する。
葉子を駒子が抱きしめながら叫んで終幕する。
水を浴びて黒い焼屑が落ち散らばったなかに、駒子は芸者の長い裾を曳いてよろけた。葉子を胸に抱えて戻ろうとした。その必死に踏ん張った顔の下に、葉子の昇天しそうにうつろな顔が垂れていた。駒子は自分の犠牲か刑罰かを抱いているように見えた。
時間的にも空間的にも広がりを得ていた世界が、一人の登場人物の腕の中に収束していく。
そんなようにも見える。
いかがだろうか。
ここまで符合するかという驚きがある。
もちろん登場人物の関係性はまるで違うし、ayase氏や板垣巴留氏が『雪国』をモチーフにしたとは考えづらい。
ということは、魅力的な物語を作ろうとした結果、二つの物語が似たような要素を持つに至ったということか。
両者の共通項を眺めることで、作品の美しさの源泉が見えてくる気がする。
「優しい彗星」はTHE FIRST TAKEバージョンも良い。
以前、雪国について述べた記事。
weatheredwithyou.hatenablog.com