たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

会社に囚われた日本人なら共感できる! 『月に囚われた男』

 映画『月に囚われた男』を見ました。

 監督はデヴィッド・ボウイの息子であるダンカン・ジョーンズ。彼の長編デビュー作で、2009年の映画です。

 以下、ネタバレあり。


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 人類のエネルギー問題が月によって解決された時代の話。核融合発電の燃料であるヘリウム3は1万トンあれば人類の100年分のエネルギーを賄えるところ、月にはヘリウム3が数十万トンある。これを有効活用することに成功した世界の物語。

 ちなみに月に関する話は以前、うっすらと下の記事で書いたことがあります。

weatheredwithyou.hatenablog.com

 主人公サム・ベルはヘリウム3の採掘員。この3年間、月面基地で黙々と働いてきた。採掘といっても作業はほぼ全自動で行われており、サムがやることといえば、タンクに資源が溜まったらそれを地球に送り出すことくらい。それしか仕事がないから、他に作業員はいない。

 サムはまだ若く、地球に帰れば妻がいる。生まれたばかりの娘もいる。にも関わらず、やり取りはビデオメッセージを送り合うことしかできない。機材トラブルによりリアルタイム通信ができずにいるのだ。だから即時にコミュニケーションを取れる相手はロボットのガーティだけ。

 そんな辛い任務も残すところあと2週間。そこで事故が発生して……。

 

 そんな話なのですが、無理のある設定だとは思わないでしょうか。

 月面に一人で3年も閉じ込められているなんてのは地獄です。思い出してほしい。コロナが蔓延し始めて間もない頃、不要不急の外出を自粛できなかった人間がどれだけいたのかを。

 わずか一週間ですら人と会わずにはいられない人間がいるというのに、それが3年も続くとは、なかなかタフな仕事です。非人道的とさえ言っていいかもしれません。

 そこがミソです。なぜサム・ベルはこんなところにいるのか?

 

 基地の外で事故にあった後、サムは基地の中で目覚めます。ガーティは基地の中しか移動できないはずなのに……。

 しばらく基地の外に出ないようにとガーティを介して本部から命じられたサムですが、それが気に食わずに脱走を試みます。採掘場の方に行ってみると、壊れた作業車の中に凍りついた宇宙服の男がいるのを発見。男を基地に連れ戻したサムは蘇生を試みます。

 サムが目覚めると、そこには自分と同じ顔をした男が……。

 

 そう、サムはクローン人間だったんですね。それもあまり性能の良くないクローン人間のようです。ちゃんとモチベーションを上げないと働かないし、3年で壊れちゃうクローン人間。

 サム・ベルの記憶はすべて偽物。彼が生まれたのは3年前だし、妻も娘もいません。そもそも地球にいたことすらないのです。

 サムは偽の記憶に励まされ、3年間の地獄に耐えてきました。3年待てば地球に帰れるはずだから。

 しかし、それらはすべて嘘。どれだけ頑張っても帰れるはずがありません。クローン人間に行き場所などないのです。3年の労働の後に待ち受けているのは死です。このクローン人間は3年で壊れちゃうのです。

 3年の耐用年数が過ぎてサム・ベルが壊れたら、新しいサム・ベルが目を覚まして、また仕事を始めます。あと3年経てば妻子の待つ地球へ帰れると思い込んで……。

 サムにとっては辛いですが、企業にとっては良い方法です(全自動化しろよという疑問は脇に置いておきます)。サムの食事の面倒さえ見ればよく、彼のその後の人生に配慮する必要がまるでない。人事トラブルのリスクもない。まことに安上がりです。

 

 私はこの映画を見るのは2回目なのですが、初めて観た時は働き始めておそらく一、二年目の頃でした。その時はまあまあ面白い映画だなと思ったくらいのはずで、あまり印象には残りませんでした。

 それから数年。久々にこの映画のタイトルを見て、観たことがあるのかすら定かでなくなっていました。二回目の視聴にしてほぼ初見ですが、改めて見直すと、見方が(おそらく)完全に変わっておりました。

 今回、私が感じたのは、これは今も地球上で起きている話だ!ということです。

 

 会社に安い労働力として使い倒されて死んでいくサム・ベル……。それはまさにブラック企業で働く人々の姿そのものではありませんか。

 仕事は退屈だし、辛いこともたくさんある。でも、仕事に慣れていけば、辛いことは減っていくし、そのうちに楽しみが見えてくる。勤務年数が長くなれば給料も上がるし、いつか必ず報われる。他の会社も同じようなものだろうし、よそで通用するようなスキルが自分にあるとも思えない。定年まで耐えれば、そこから先は晴れて自由な年金生活が待っている……。

 そんな幻想を抱いて、なんとか耐えている労働者たち。今どきはもっと冷めているかもしれないけれど、少なくとも働かないよりは働いた方がいいとは思っているはず。そうでなければ、なんのために働くのか。

 でも、仕事をしていると適度な運動も取れず(あるいは過度な運動を強いられ)、メンタルを削られ、睡眠時間の短縮を余儀なくされ、寿命は確実に働くことで縮まっています。二重の意味で会社に人生を捧げているのです。

 けれど会社はそれに報いようなどとは考えません。

 現場は最低限の人数、最低限の賃金で回せばいい。業務量に対して人員が少なすぎれば残業をさせるだけ。時間外勤務が過労死ラインを超えていようが、子供が寝る前に家を出て子供が寝た後に帰宅する父親がいようが、そんなことは知ったことではない。なにせ新しく人を雇うのは金も時間もかかるのだから……。

 

 偽物の記憶を信じて3年間働いて死んでいくサム・ベル。

 何かを信じて定年まで(あるいは自殺するまで)働いて死んでいく労働者。

 SF映画として見ても悪くない作品ですが、社会派映画として見ると厚みが違います。

 この映画にリアリティを感じられなかったのなら、あなたは月に囚われずに済んでいる幸せ者なのかもしれない。