たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

『銃・病原菌・鉄』感想 地球規模でブラタモリ

 『銃・病原菌・鉄』を読みました。読んだというか聞きました。Audibleで。

 だいぶ昔に一斉を風靡したこの本ですが、ハードなタイトル、表紙、内容に上下巻の分厚さ……。興味本位で近づいたら、強力なバリアに跳ね返された人も多いかと思います。私もこれはAudibleじゃないと絶対に読まないなと思い、購入した次第です。

 Audibleだと読み返すのが非常に面倒なので、この記事は記憶だけで書きます。

 

 この本がどういう本かと言いますと、「なぜ西欧世界が世界を支配できたのか?」を探る本です。

 西欧が世界各地を征服した要因として、まず誰でもパッと思いつくのが、西欧が強力な兵器、つまり銃を所持していたことです。しかし、西洋人の武器はもう一つありました。それが病原菌です。西洋人が意図せず広めた伝染病が多くの先住民を死に至らしめたのだそうです。これがタイトルの『銃・病原菌・鉄』の由来です。

 ここからさらなる疑問が浮かびます。なぜ西欧が銃を先んじて開発できたのか? なぜアメリカ大陸の病原菌が西欧世界を滅ぼさなかったのか?

 この理由に、この本は主には次のような答えを提示します。

 まず、文明の発展には、狩猟採集社会から、食料を栽培する社会に移行することが重要です。なぜなら、大量の食料を確保することで、人口を増やすことができます。さらに、食料の確保に従事しない人を養うことができるようになるからです。それにより複雑で大きな社会を作り上げたり、技術を発達させたりする余地が生まれます。

 この飽食の時代に生きる我々には意外なことですが、栽培に適した穀物などの植物(米や麦など)の種類はそんなに多くないのだそうです。しかしそれに恵まれたのがユーラシア大陸。しかも、ユーラシア大陸は横長であるため、栽培に適した品種が伝播しやすい環境にあります。植物の生育条件の大きな要素が気温かと思うのですが、南北に移動すればそれだけ気温は変動します。が、東西であれば気温はそう大きく変わりません。というわけで、アメリカ大陸ではとうもろこしなどの品種があったとしても大陸中に広がりませんが、ユーラシア大陸ではメソポタミアなどで生まれた農耕が大陸中に広がることができたのです。

 農耕においては家畜が非常に重要な役割を果たします。家畜化できる動物は、実は非常に限られているのだそうです。で、この家畜化できる動物が多かったのがやっぱりユーラシア大陸だったようです。アメリカ大陸にはアルパカぐらいしかいなかったのに対し、ユーラシア大陸には馬、羊、牛、豚、鶏、山羊とたくさんいます。これらは食べることもできるし、衣服を作るのに役立てたりもできます。馬にいたっては農耕の道具としてだけでなく、兵器として利用することもできます。さらにさらに、この家畜という動物集団が伝染病の発生に大きく関わっているようです。というのも、伝染病は病原菌の生存戦略であることを考えれば、伝染病は狭いところに高い密度で暮らしている動物の集団の中でしか発生しません。そのような動物は人間か家畜ぐらいなもんだし、家畜と人間はごく近くで暮らしているので、家畜の伝染病は野生動物のものより人間に移りやすいわけです。ですから、ユーラシア大陸には家畜がいる→ユーラシア大陸には家畜から移った伝染病がアメリカ大陸よりもたくさんある→ユーラシア大陸の人の方が免疫を持っている→ユーラシア大陸由来の病原菌がアメリカ大陸先住民を壊滅させ、その逆は起きなかった……という図式が生まれるとのことです。

 その他に、文字なんかもごく限られた地域でしか発生せず、ユーラシア大陸では伝播していろいろな社会で文字が使われたけど、アメリカ大陸などでは伝播がなかったのでほとんど文字が使われなかった……といったようなこともあるようです。

 ちなみに、じゃあなんで中国がヨーロッパを征服せんかったのじゃという疑問もあるかと思いますが、それは確率の問題のようです。中国には大国が一つあっただけなのに対し、ヨーロッパには様々な王国がひしめき合っていました。なので、遠洋航海という金のかかる事業に権力者が投資してくれる確率が中国よりヨーロッパの方が高かったということで説明できます。中国では皇帝にNOと言われたらそれで終わりですが、ヨーロッパならフランスでNOと言われたらイタリアに行き、イタリアでNOと言われたらドイツに行き……といったようなことが可能なわけです。ではなぜ中国には基本的に一つの大国が君臨し、ヨーロッパではたくさんの国が……というのも、やはり地形の問題で説明がつくのです。中国には国を分断するような自然の障壁が乏しいのに対し、ヨーロッパにはアルプス山脈やらピレネー山脈やらがあります。大きな山脈を超えた帝国が存在するより、山脈を隔ててそれぞれの地域に国が成立するのはまあ自然な成り行きでしょう。

 

 というようなところがこの本のエッセンスだと思います。

 要するに、この本が言いたいのは、歴史の大勢を決めたのは自然環境であって、個々の人種の知能などではない、ということだと思います。

 アマゾンレビューの上位に批判的なレビューがありますが、内容が抽象的で何を批判しているんだかよく分からなかったり、的外れな批判なものばかりでなぜそんなに参考にされているのかよく分かりません(ただし、冗長という点については私も同感です)。

 この本から学べるところはたくさんあります。上に書いたことの詳細がこの本にはたくさん書いてありますから、それ自体が勉強になります。また、歴史という複雑な研究対象に対して、学者がどのようにアプローチをするのかという検証の仕方自体も参考になります。

 しかし、なによりも、「歴史の大きな流れは環境要因が決める」という唯物論的な(?)ものの見方こそ最も学ぶ価値のあるものではないかと私は思います。

 これと同じアプローチを地上波で放送しているのが、NHKで日曜夜に放送しているブラタモリですね。そう、この本は地球規模でブラタモリ♪な本なのです。はーろはろと歌いながら気楽な気持ちで読んでみるとよいのではないでしょうか。