たぬきのためふんば

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アメリカ映画ベスト100制覇への道:その6 キング・コング

 『キング・コング』は言わずとしれた特撮映画だが、その歴史の始まりは1933年。

 死をも恐れない無謀な映画監督のカール・デナムが、路頭に迷っていた美女を女優に仕立て上げて髑髏島にいるという化け物を撮影しに行く話だ。

 1933年の特撮映画とはいえ、そのクオリティはなかなか侮れない。もちろん最先端のCGに比べればしょぼいのだが、キング・コングと恐竜の戦いはなかなか迫力があるし、キング・コングのギョロッとした目はおぞましさを感じさせるものがある。特に、ニューヨークの窓の向こうにキング・コングの目が映るカットは印象的。今年の大学入学共通テストの「窓は視覚装置である」みたいな話が思い浮かんだ。

 美女と野獣がこの映画のキーワード。キング・コングも野獣だが、ヒロインのアン・ダロウが乗る船の船員たちもまた野獣だ。アン・ダロウがテスト撮影をする間に男たちが群がってくる様子は、『天空の城ラピュタ』のドーラ一家がシータにメロメロになる様子に似ている。

 おそらく宮崎駿は『キング・コング』に直接的にか間接的にかは分からないがかなり影響を受けていると見て間違いない。敵にさらわれたヒロインを助けに行ったり、美女にメロメロになったりする男を描くのは宮崎駿の好むところだ。なにより『もののけ姫』はかなり『キング・コング』的な映画だ。

 キング・コングの住まう髑髏島には恐竜がうじゃうじゃいる。シシ神の森にも巨大な犬や猪が現れる。どちらも都会とは断絶された空間で、どちらの巨大生物も神として崇められている。と同時に、その神々は人間の持つ兵器によって駆逐される運命にある。ここに描かれているのは「文明VS非文明」だ。そしてイケメンと美女のラブロマンスが物語の中心にある。ついでにいえば、巨大な壁を開く場面もある。あとアン・ダロウが船員をメロメロにしたように、アシタカもタタラ場の女達をメロメロにしていたっけ!

 すごい。『キング・コング』の舞台設定を室町時代の日本にしたら『もののけ姫』になると言っても過言ではない。ただし、『キング・コング』は文明が非文明を打倒して(少しの悲しさを残しつつ)ハッピーエンドで終わるが、宮崎駿がそんなアメリカンな筋書きを許すはずがない。

 だから、カール・デナムの役割は主人公ではなくエボシ御前やジコ坊に託され、アシタカは自然と神々を愛する青年となった。そして、美女は人間側ではなく、もののけ側の存在になった。これだけでもう、アシタカにはエボシたちに対抗する力が必要になるから呪わせよう、デイダラボッチにはすべてを破壊させた上で首を返そう……と他のピースも自ずとはまっていくことになる。

 すごい。舞台設定を変えて、キャラクターの配置を少し変えたらあっという間に『キング・コング』が『もののけ姫』に大変身した。物語では、ちょっとした違いが大きな違いを生むのだ。(言うまでもないが、実際にはこんなにスラスラと傑作を生み出せるはずもない。宮崎駿が『キング・コング』を意識していたという話も聞いたことがない。『美女と野獣』は意識していたようだが。なんにせよ、『キング・コング』の構成要素には人の心を動かすものがあるのはたしかだ。)

 2017年公開の『キング・コング:髑髏島の巨神』には『もののけ姫』の要素がたっぷり込められているらしい。二つの名作がこれだけシンクロしているのだから、必然の成り行きだ。

 

 ちなみに、上でちらりと書いたが、髑髏島ではキング・コングや恐竜から逃れるための巨大な壁がある。これは『進撃の巨人』っぽさもある。

 『キング・コング』がアメリカ映画ベスト100に残っているのは、単に初期の特撮映画として歴史的価値があるというだけではない。その物語に大きな魅力があるからなのだ。