たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

コロナワクチンより先に打っておきたい詐欺ワクチン『テロール教授の怪しい授業』

 『テロール教授の怪しい授業』という漫画がある。

 真っ黒な背景に怪しい笑顔を浮かべる男が表紙。なんだかちょっと手に取りづらい。

 中を開いてみると、絵は上手い。上手いが、濃い。情報量が多いタイプの絵だ。それに文字も多い。ちょっとしんどさを覚える。

 が、同時に、久しぶりの感覚が蘇る。

「なんだか大学で授業を受けていた頃のことを思い出すな~」

 この漫画の内容を一言で言えば、とあるAラン大学に入学した佐藤くんがティム・ローレンツ教授と出会い、テロリストにならないためにテロリズムやカルトについて学んでいく漫画である。

 佐藤くんの華やかなキャンパスライフが描かれることはない。高校と大学のギャップに戸惑うこともないし、才能ある同級生に打ちのめされて自分の限界を知ったりもしないし、偶然出会った美女と恋愛したりもしない。ただひたすらに佐藤くんは教授の講義を受ける。もちろん同じ授業を受ける仲間はいて、彼らの悩みを解決しようと奔走する一幕もある。が、その悩みというのは往々にしてカルトに関わるもので、読者目線からすれば、それらは全て教授の授業に取り込まれることになる。

 そうなると肝心なのが、授業の内容だ。これがなかなかに重厚で読み応えがある。大学の授業を思い出す。それでいて面白い。なぜならば、ティム教授のやり口が完全にカルトだからだ。そこには二つの面白さがある。一つは、カルトの勧誘手法を疑似体験できるという面白さ。もう一つは、ナラティブの面白さだ。

 

 そもそも、テロやカルトは身近な問題だ。外を歩けば、道端でプラカードを持って立っている人をたまに見かける。家に引きこもれば、あちらから訪問してきたりする。ウェブ上にも迷惑メールやうさんくさい広告が満ち満ちている。見るからに不気味で本能的に避けてしまう。

 特に、この漫画の舞台になっている大学は危険スポットだ。私も、大学のキャンパスでサークル紹介をやっているというので部室棟に入ったら、そこでは韓国人が「教会でゴスペルを歌おう」とのたまっていたことがあった。別のある時には、キャンパス内で突然親しげに話しかけられて、校舎の入口までついてこられたこともあった。もしかしたら、本当に健全なゴスペルサークルだったかもしれないし、本当にただのフランクな学生だった可能性も否定はできないが、だからこそ危ない。

 カルトはこれほど身近な存在にも関わらず、我々が彼らについて学ぶ機会は少ない。我々の持つ素晴らしい防衛本能は怪しいものから逃げることを教えてくれるが、同時に怪しいものについて学ぶ意思も奪ってしまう。ということは、本能の隙間を突かれると、我々は武器を持たないままカルトと戦わねばならなくなるわけだ。敵は我々の本能を利用しようとさえしてくるというのに。

 だからこそ、ティム教授の講義は新鮮に映る。今まで持っていなかった視座を与えてくれる(あるいは忘れがちなことを思い出させてくれる)。

 

 最も大事な教えは、テロリストもカルトにハマる人も普通の人だということだ。彼らの行動は合理的な判断の上に成り立っている。

 たとえば、宗教団体が道端でプラカードを持って勧誘をすることの意味を考えてみよう。黙って突っ立っているだけの彼らのもとに「私のことを救ってください!」と声をかける人などいるわけがない。救いが欲しければ、レストランで美味しいものを食べたり、弁護士や警察やカウンセラーに相談したりした方がいいに決まっている。同じ理由で、彼らの方から声をかけたところで付いていく人などいるはずもない。つまり、路上での勧誘に入信者を増やす効果は全くない。そんな無意味な活動に何時間も費やすなんて、全くの非合理のように思える。

 そう思った時点で騙されているといっても過言ではない。「勧誘活動の目的は仲間を増やすことだ」という思い込みに囚われている。勧誘活動の目的が仲間を増やすことでないとしたら?

 答えを言ってしまおう。勧誘活動の目的は仲間を減らすことにあるのだ。意味が分からなければ、まずは、勧誘活動をさせる側(団体)とさせられる側(構成員)を切り分けて考えるところから始めよう。勧誘活動によって利益を得るのは、勧誘活動をさせる側の方だ。カルト団体にとって、構成員を増やすことだけが利益ではない。構成員のロイヤリティを高めることも大きな利益になる。

 宗教の勧誘をしている人に関わりたいと思う人は極めて稀だ。だから勧誘活動をさせればさせるほど信者は社会から孤立することになる。社会から孤立した信者にとって、カルト団体のコミュニティはそれまでよりも大切な存在になる。カルトに依存するしかなくなった信者はどんなにめちゃくちゃなことを言われても言うことを聞くしかない。カルトコミュニティから追放されれば、本当に孤独になってしまうから。こうしてカルト団体は勧誘活動を通して、従順な信者を獲得するのである。

 このように、非合理に見えた行動も、目線を変えれば非常に合理的であることが分かる。テロリストやカルトの関係者は合理的な普通の人間である、という前提に立つと、様々なことが見えてくる。

 一つは、上でも書いたとおり、彼らは非常に巧みに人間の心理を利用して人々を操作しようとする。人間の心にある様々なバイアス(偏見)を巧みに利用してくるし、心動かされる物語(ナラティブ)を作り上げる。陰謀論などはその典型例だし、この漫画が面白いのも「平和ボケした愚かな日本の学生に、過激で賢いアメリカ人教授が真実を教える」というナラティブによるところが大きい。

 もう一つは、カルトにハマっている人を説得しようとしてはいけない。彼らは彼らなりの合理性に基づいてカルトにハマっている。そこを頭ごなしに否定すれば、カルトから抜け出すどころか、どんどん意固地になっていく。助けようと深入りすると、逆にこちらがカルトに取り込まれる可能性すらある。素人は近寄らないのが賢明だ。

 そして最後に、誰もがテロリストになりうるし、カルトにハマりうる。普通の人間が言葉巧みに誘導されていつの間にか沼に落ちてしまうわけだから、勉強をしたり物事を疑う習慣を持ったりすることなしに魔の手から逃れられると思うのは大間違いだ。さらにいえば、勉強をしたり物事を疑う習慣を持ったりすれば逃れられると考えることすら大間違いだ。勉強をした結果、「自分は真実を知っている!」と考えたら、それはもう沼に足を突っ込んでいる状態だ。反ワクチンの考えを持つ人は、ワクチンの有効性を疑い、ワクチンの有害性を勉強したからこそ、反ワクチンの思想を持つに至るわけである。「自分は正しい」と考えて、自分の主張を声高に世間に向かって発したらどうなるだろう? その主張が間違っていることが分かっても、後に引けなくなる。どうにか自分が正しくあれるような理屈をひねり出すしかない。そうして、どんどん沼にハマっていく。間違いを認める勇気は大事だが、そんな言葉で誰もが間違いを認められるのなら苦労はしない。

 そうなってくると八方塞がりの感がある。何が真実かなんて誰にも分からないし、かといって全てを疑うなんてことができるはずもない。

 この漫画では一つの対策を提示してくれている。それは「依存先(社会とのつながり)をなるべく多く持つ」ことだ。カルトはなぜ勧誘活動をさせるのか? それは信者を社会から孤立させるためだ。逆に言えば、信者が社会と繋がりを持つことはカルトにとってリスクなのだ。社会と繋がりを持つ限り、「あれ? この団体ってカルトなんじゃ……?」と信者自身が気づくきっかけは増えるし、そこまでは至らなくても過激な行動を避ける要因が残ることになる。

 言うまでもないが、依存先を多く持てばカルトに引っかからないということではない。繰り返しになるが、「誰もが」テロリストになりうるしカルトにハマりうるのだ。カルトに依存するしかない人よりは、家族と職場と同好の士と地域の集まりに依存できる人の方が、まだリスクは低いだろう程度の話でしかない。友達に誘われてテロリストになることだってありうるから、これもまた絶対ではない。

 

 今月からの情勢を鑑みてカルトという表現を使ってきたが、詐欺やネズミ講も似たようなものだ。平和な日本にも罠はいたるところに潜んでいる。

 私の話をしよう。父親が国際ロマンス詐欺に引っかかったことがある。母から連絡が来た時には、父はまだ詐欺にあっている自覚がない状態だった。

 経緯はこうだ。SNSを通じて父は米軍に所属する女性と知り合った。女性はシリアだかイラクだかで任務中で、軍からの給料が税関で差し止められてしまって、受け取るために金が必要だ、みたいなそんな感じのことを言われたらしい。父はお金が戻ってくるものと信じて、消費者金融で金を借りて、指定された口座に振り込んだ。しかし、いつまで経っても返ってこない。どうやら銀行員が金をくすねたらしい、と思い込む。ここらへんで母にバレる。

 全てが異常である。こんな話を信じるのも、消費者金融で金を借りるのも、女性が詐欺師だと気づかないのも、写真に写っている女性が明らかにエマ・ストーンであることも。父はもともと異常者寄りの人間ではあったが、さすがにこれは常軌を逸しすぎている。それだけに絶望が深い。完全に洗脳されていると思った。

 私は「嫌なことから逃げ出して何が悪いんだよ!」というタイプの人間なので、深入りはしないようにしようと思った。まじめに向き合うと心が持たない。とりあえず、母には、父から距離を置きつつ、その道のプロを頼るように伝えた。調べても「その道のプロ」がはっきりとしないのは不安だったが。孤立すると洗脳が深化すると思ったため、家族にはあまり強く言わないようにさせた。色々とググって、ようやくWikipediaのロマンス詐欺の項目を見つけたのでリンクを送信した。

 幸いにして、それで目が覚めたらしい(相変わらず銀行がどうのと言ってはいたが)。金は取り戻せないし、心の傷は癒えないだろうが、深みにハマるよりはマシだった。詐欺だからこの程度で済んだが、カルト宗教だったら親と縁を切るしかなかったかもしれない。

 騒ぎに乗じて、モリンダ(ネットワークビジネス)にハマっている母の目を覚まそうと高齢者詐欺対策の本(ピントがずれていたが、それくらいしか読みやすそうな電子書籍がなかったのだ)を教えたが効果はなかった。

 『テロール教授の怪しい授業』はまだ連載も始まっていなかった頃の話だ。もしあらかじめ『テロール教授の怪しい授業』を読むことができていたら、私の親はモリンダやロマンス詐欺から身を守れただろうか?

 ともかく、日常には危険があふれている。この危険に満ちた世界を無事に生きていくためのワクチンになりうる漫画があるということは幸せなことではないだろうか。