たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

『田舎教師』感想 これはあなたの墓標である

 田山花袋田舎教師を読みました。私は自分の墓標を見ていました。

 

 主人公の名は林清三。中学校(今で言う高校に近いものだと思います)を卒業したての彼が教師になるところから物語は始まります。

 清三の両親はろくな収入がなくて、3人家族にも関わらず、清三が働かないことには生活が成り立ちません。だから親友の親に教師の職を見つけてもらって、埼玉は行田から三田ヶ谷村の弥勒という場所に赴くこととなりました。位置関係はだいたいこんな感じ。

 中学の時の親友は高等師範学校を目指したりして、さらなる進学を志しています。最も仲の良かった加藤には想い人がいて、そのラヴがだんだんと進展していったりもします。

 清三は貧しい田舎暮らしをしながら、旧友たちの輝かしいライフを部外者として傍観します。

 清三は時に風俗嬢に入れあげて借金まみれになったりもしつつ、田舎暮らしに馴染んでいきます。馴染んだ頃には清三の体は病に冒されていました。日露戦争で日本軍が遼陽を占領したという報が国内を駆け巡ります。祭りの日、清三はひっそりと死にます。

 

 そんな感じの話です。

 まあ正直あんま面白い話ではありませんでした。

 ただ、私はこの本を読んで「こいつは俺だ。俺はこのとおりだったんだ」と思いました。

 私も田舎で働く身。満員電車や渋谷の人混みが大嫌いで、職があるなら田舎のほうがいいやという思いも多分にあるのですが、それでも惨めさを感じることがあります。

 なんでこんなしょうもない仕事をしているんだろう? もっと世の中の役に立つ仕事がしたい。もっと感動を与える仕事がしたい。もっと自由に働きたい。もっと楽しい仕事がしたい。同級生は有名企業の役員になっていたり、マスメディアに載っていたり、裁判官になっていたりするのに。それに周りの人はみな結婚して子供まで作ったりしているけれど、自分にはそんな兆しはまるでない。別に求めちゃいないけど、隣の芝生がやたら青く見えて仕方ない。

 そんな日もあります。

 というか私だけでなく、世の中にはそんな人が多いのではないでしょうか。時代が進むにつれ、ラジオが生まれ、テレビが生まれ、インターネットが生まれ、SNSが生まれる。世界がつながっていくにつれ、世の中に比較対象がどんどん増えていく。きっと当時より今のほうが、たくさんの林清三がいるに違いありません。

 今の時代なら清三は視聴数100もいかないyoutuberになったり、PV数10もいかないブロガーになっていたりするのでしょうね。

 この小説の悲しいところが、そんな清三の人生が見事に面白みに欠けることです。なんて起伏のない物語なのだろうか……。

 いや、真の意味で起伏がないわけではありません。季節も巡ります。しかし、十分ではありません。大きな夢を夢見ている林清三はこの小説を楽しめないに違いないのです。この小説を楽しめる人は、荻生くん(清三の同級生。田舎暮らしを楽しんでいる)のようなあるがままを純粋に楽しめる人なのでしょう。

 

 この記事を書くにあたって、下の本を発見したので読んでみました。

 『田舎教師』をどのような経緯、どのような思いで書いたかを作者自身が述べている本。10頁くらいなのですぐに読めます。青空文庫なので無料です。

 『田舎教師』は実在した小林秀三という青年をモデルにして描かれた話です。これを書くにあたって小林秀三が生きた地を取材したこと、観察をせずに書いた部分が現実とずれていて後悔したといったようなことが書かれています。

 これを読んで、私は「ああそうか」と思いました。

 小林秀三の人生は、本当なら日露戦争の栄光の陰で誰からも忘れられるはずのものだった。それを田山花袋が秀三の日記をもとに『田舎教師』として残した。脚色はほどほどに、実地に赴いてなるべくあるがままに書き残した。だから、ありふれた退屈な青年の悲しい人生が100年後の私の手元に生き続けている。この小説を通して、私は私の墓標を見ていたのだ。

 日記や小説を書くことの意義や自然主義文学の価値がここにある気がします。