たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

ビジネスパーソンはミステリー小説『硝子の塔の殺人』から何を学べるのか?

 昨日の記事にも書きましたが、『硝子の塔の殺人』が非常に面白かったので、それについての話を書きます。どのくらい面白かったかというと、今年読んだ本の中では五本の指に入るくらい面白かった。

 この小説がどんな小説なのかについて、まずAmazonの紹介文を引用したいと思います。

ミステリを愛するすべての人へ

当作の完成度は、一斉を風靡した
わが「新本格」時代のクライマックスであり、
フィナーレを感じさせる。今後このフィールドから、
これを超える作が現れることはないだろう。 
島田荘司

ああびっくりした、としか云いようがない。
これは僕の、多分に特権的な驚きでもあって、
そのぶん戸惑いも禁じえないのだが――。
ともあれ皆様、怪しい「館」にはご用心! 
綾辻行人

500ページ、一気読み!
知念実希人の新たな代表作誕生

作家デビュー10年 実業之日本社創業125年 記念作品

雪深き森で、燦然と輝く、硝子の塔。
地上11階、地下1階、唯一無二の美しく巨大な尖塔だ。
ミステリを愛する大富豪の呼びかけで、
刑事、霊能力者、小説家、料理人など、
一癖も二癖もあるゲストたちが招かれた。
この館で次々と惨劇が起こる。
館の主人が毒殺され、
ダイニングでは火事が起き血塗れの遺体が。
さらに、血文字で記された十三年前の事件……。
謎を追うのは名探偵・碧月夜と医師・一条遊馬。
散りばめられた伏線、読者への挑戦状、
圧倒的リーダビリティ、そして、驚愕のラスト。
著者初の本格ミステリ長編、大本命! 

 

 これだけでも分かるのは

  • クローズドサークルで、
  • 古典的なキャラクターが登場し、
  • 名探偵と医師という古典的なタッグが事件を解決し、
  • 読者も謎に挑戦できる。

 という、ザ・ミステリーな小説だということですね。そのうえネタバレにならないレベルで言及するなら、

  • 倒叙ミステリー(犯人の視点で描かれるミステリー)であり、
  • メタミステリー(登場人物が物語の登場人物であることを自覚している)っぽくもある。

という作品にもなっています。

 「ミステリー小説の宝石箱やー」と言いたくなるくらい、「ミステリーのイメージってこんな感じ」的な要素てんこ盛りです。ミステリー小説に馴染みがない方(つまり私)からすると、お得なセットプラン的な小説になるかもしれません。

 一方で、目新しさがないという見方もできるかもしれません。しかし、ナメないでください。ただお得感があるだけの小説が、私が今年読んだ本のベスト5に入るわけないではないですか。

 この小説がこれだけコテコテのミステリーを描いているのは、その先を行くためなのです。終盤で全てをひっくり返したうえで、その直後にさらにひっくり返してきよるのです。恐ろしやー。

 これが重要です。この小説はこれまでのミステリー小説の上を行くのではなく、これまでのミステリー小説とは違う領域に踏み出しています。これが素晴らしい。マイケル・ポーター的に言えば、最高を目指す競争ではなく、独自性を目指す競争をしています。

 そこには新鮮な驚きがあります。これこそ我々が小説に求めているものです。(でもこれはミステリー小説をあまり読まない私の感想なので、ミステリーマニアが読んでも同じ感覚があるかは分からないです。)

 

 ネタバレなしで書けるのは、ここまでです。

 しかし、私はもう少しこの小説について書いてみたい。

 ジェフ・ベゾスはノンフィクションよりも小説から多くのことを学んだと言います。

 私もこの小説から学べることが少なからずあると感じましたので、それについて書いていきます。

 

【ここからはネタバレも辞さない】

ニーズは創出するもの

 これはこの小説に限ったことではないのですが、小説とマーケティングにはかなり通ずるところがあります

 マーケティングの世界でよく言われるのは、「どのターゲットのどんなニーズに応えるのか」を考えるべし、ということです。

 言うまでもなく、小説は「面白い物語を読みたい」というニーズを満たすための商品です。より細かく分類すれば「泣きたい」「笑いたい」などといったニーズになるかもしれません。

 しかし、さらに突き詰めて考えると、「あらゆる小説はニーズのないところにニーズを創出している」と言えそうです。

 どういうことか?

 『硝子の塔の殺人』では、密室殺人事件が起きます。これにより、次のニーズが読者の中で発生します。

  • 犯人がどのようにして密室殺人を実現したのかを知りたい
  • 誰が犯人なのかを知りたい
  • 犯人がなぜ殺人の罪を犯したのか知りたい

(これも細かく分類すれば、「事件を解くための手がかりが欲しい」というようなニーズが先に立つと思います。)

 さらにこの小説では主人公が殺しをしますので

  • 人を殺した主人公がいかに救われるのか知りたい

といった欲求も発生します。この欲求は名探偵が事件の真相にぐんぐん近づくことによって、より掻き立てられます。

 しかし、これらのニーズは読者の中にもともとあったニーズではありません。小説によって作り出されたニーズなのです。

 映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』で、主人公が「オレにこのペンを売ってみろ」と要求するシーンがあります。その答えもニーズを生み出すことでした。

 あらゆる小説はこれを(意識するしないに関わらず)行っているはずです。ジェフ・ベゾスが小説から学ぶところが多いというのも納得かもしれません。

 では、ミステリー小説において、ニーズを創出する役割を担っているのは誰なのでしょうか? 名探偵でしょうか? 違いますね。ニーズを生み出すのは事件。事件をおこすのは犯人。つまり、ミステリー小説において本当に重要なのは名探偵ではなく、名犯人なのです。『硝子の塔の殺人』はこのことを我々に明示してくれます。

小説においても独自性を目指す競争をすべきである

 マイケル・ポーターは最高を目指す競争ではなく、独自性を目指す競争をするべきだと言います。最高を目指す競争は業界が消耗するだけだが、独自性を目指す競争は業界と消費者に利益をもたらすと。

 同じことが小説にも言えそうです。読者が感動を覚えるのは小説が(読者の)予想を外して、期待に応えてきた時だと思います。読者はそれまでに読んできた小説のパターンから予想をしますから、読者の予想を外すにあたって独自性は大きな武器になります。逆にエンターテイメントにおいてマンネリズムほど恐ろしいものはありません。

 小説に限らず、本当に優れたクリエイターは常に独自性を目指しています。宮崎駿は常に新しいものを作り続けました。『天空の城ラピュタ』以降、宮崎駿は『天空の城ラピュタ』チックなものは作っていません。ビートルズだって、『プリーズ・プリーズ・ミー』と『レット・イット・ビー』ではかなり作風が変わっています。

独自性を目指すには業界研究が欠かせない

 では、独自性をどのように達成するのか?

 その答えは、一見矛盾するようですが、既存の業界を丹念に研究することにありそうです。目標を達成するには、目標を明確にしなければなりません。他社との差異を生み出すためには、他社を知らねばならないのです。

 『硝子の塔の殺人』は上に書いたようにミステリー小説の美味しいところを凝縮したような作品なのですが、このパロディー感こそが読者を騙す釣り餌になっていて、どんでん返しの伏線になっています。

 これは既存のミステリー小説とはどのようなものかを的確に捉え、その枠を飛び超えることを目指したからこそ可能な業です。

 マイケル・ポーターバリューチェーンという概念を提唱し、業界標準バリューチェーンとは異なるバリューチェーンを持つことで他社と異なるニーズを満たすことを推奨しています。

 この考え方は小説にも適用できそうです。

 たとえば、ミステリー小説では通常、おおむね以下のような話の筋になるのではないでしょうか?

  1. 登場人物の紹介
  2. 舞台設定の紹介
  3. 事件(=ニーズ)の発生
  4. 探偵が事件を解決しなければならない必然性の提示
  5. 手がかりの提示
  6. 登場人物同士の対話というブレインストーミング
  7. 探偵によるソリューションの提案

 連続殺人事件の場合は3~6が何度か繰り替えされたり、シリーズ物では4がかなり簡略化されたりすることはあるかもしれません。

 優れたミステリー小説を作ろうと考えた場合、最高の登場人物の組み合わせとはなんだろうか?とか最高の舞台設定はなんだろうか?とか、これらのパーツを磨き上げる方向で考えてしまいがちだと思われます。しかし、それで差別化に成功するのは稀有な例でしょう。

 『硝子の塔の殺人』は、基本的には上記の流れを踏襲しつつも、これとは異なるバリューチェーンを築いています。しかもそのバリューチェーンは全体の適合性が極めて高いため、模倣は困難だと思われますし、それゆえに島田荘司氏は『硝子の塔の殺人』を「わが『新本格』時代のクライマックスであり、フィナーレを感じさせる」と評したのかもしれません。

 ついでに言うと、ポーターはベストプラクティスを追求することを否定しているわけではなく当然の前提としていますから、模倣によりベストプラクティスを吸収するという意味でも業界研究の重要性は感じられます。

 エンターテイメントの場合、作者と顧客の間で好きなものを共有できることがカスタマーエクスペリエンスの向上に繋がる面もあります。

まとめ

 およそミステリー小説の感想とは思えない文章ですが、それくらい多くの気付きを与えてくれる名作だということですね。

 『硝子の塔の殺人』は凄い。マイケル・ポーターも凄い。ジェフ・ベゾスも凄い。優れた作品、優れた研究、優れた言葉はいつも私たちに大いなる刺激を与えてくれます。

 「マイケル・ポーターってなんや?」と思った方は以下の記事をどうぞ。

weatheredwithyou.hatenablog.com

 

 

 余談ですが、ツイッターで思いつくままに感想を呟いたら、光栄なことに知念実希人先生にリツイートいただけて(どういう形でリツイートされたかは怖くて見ていない)、私史上最高に拡散された文章になりました。感謝感激雨あられインフルエンサーって凄い。作者に自分の感想が届いたって凄い。SNSって凄い。

 SNSでは喜びの感情を発信すべきだなと思いました。