先日、お茶についての記事を書きました。
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Wikipediaをまとめただけの簡単なものですが、身近なお茶について私は何も知らないんだなーというのが分かってなかなか面白かったので、今度はコーヒーについて書きたいと思います。
思えば、コーヒーは面白い話題が多い題材です。
などなど……。
コーヒーについて知識を深めておけば、いっそう世界が面白いものになるに違いありません!
とはいえ、お茶に比べるとコーヒーは癖が強い(要するに苦い)ので、飲まない人がわりといると予想します。というか私がそうです。だから自分には関係ないと思う人も多いでしょう。
そこでまずは、生産量ランキングを見たいと思います。番付が好きな日本人ならコーヒーに興味なくてもランキングを見ると心躍るハズ!
どの国がコーヒーを最も生産しているのか?
みなさんはコーヒーを最も生産している国はどこだと予想しますか?
正解は次のとおりです。
一位はブラジルです。ど素人からすると「あーそうなんだー。イメージがあるようなないような……」という感じですね。ですが、コロンビア、ホンジュラス、ペルー、グアテマラと全体的に中南米が多いのはイメージどおりではないでしょうか? その中で断トツで面積が広いブラジルが一位なのは当然といえば当然かもしれません。ちなみにブラジルの面積は世界第5位で、世界第8位のアルゼンチンの2倍以上の広さです(日本の約22倍です)。
次いで、ベトナムです。お茶のランキングでも上位に入っていましたが、ここでも入ってくるとは! インドネシア、インドも同じくですね。インドネシアとインドは国土が広いので分かりますが、ベトナムは日本より少し小さいくらい。農業大国ぶりが伺えます。
コーヒーはどこで生まれたのか?
コーヒーが中南米で多く生産されているということはコーヒーは中南米生まれなのでしょうか?
そうではありません。コーヒーはコーヒーノキから取れるのですが、コーヒーノキはアフリカ出身です。特に、現代においてよく飲まれているコーヒーはエチオピアの南西部あたりが起源だということが分かっています。エチオピアは上のランキングで第5位に入っていますね。
「エチオピア?どこ?」という方も多いと思うので、下の地図を御覧ください。真ん中にコンゴ民主共和国があって、その右上にあります。アフリカ東岸です。
この地図とランキングを照らし合わせると分かるのは、コーヒーは赤道付近の国々でよく取れることです。
コーヒーノキが育つ条件はもう一つあります。高地であることです。ここで、下の地図をご覧ください。世界の標高地図です。国土地理院から拝借しました(地理院地図 / GSI Maps|国土地理院)。色が濃くなるほど高くなります。
エチオピア(十字の位置)は赤道付近かつ高地という条件を満たしているのですが、そこから北の方に行くと、コーヒーノキが育てる高地がなくなってしまいます。そのせいか、コーヒーノキは自然にはユーラシア大陸に広がっていかず、長らくエチオピアだけにとどまっていたようです。
ついでに、この地図から、世界ランキング上位のアフリカ勢がウガンダだけなのも理解できます。ウガンダはエチオピアのすぐ南の茶色いエリアです。他の地域は高地に乏しいです。(やってできないことはなさそうな気もしますが。)
どのようにして世界に広がっていったのか?
そんなコーヒーはどのようにしてエチオピアから世界に進出していったのでしょうか? 上の地図を見ていただくと、エチオピアはアラビア半島に近いことが分かります。
この地域のインフルエンサーといえば? そう、イスラム教徒です。エチオピアとイスラム国家が抗争を繰り返すうちに、イスラム世界にコーヒーが伝播していきます。それがオスマン・トルコ帝国まで行っちゃうと、ヨーロッパに辿り着くのは時間の問題というわけです。とはいえ、トルコにコーヒーが取り入れられるのは16世紀ぐらい。意外と歴史が浅いんですね。
ちなみに、コーヒー関係でよく聞く言葉に「モカ」がありますが、このモカはアラビア半島南端の国イエメンにある港の名前です。かつてはモカ港がコーヒーの輸出の拠点だったことからブランド化したのです。現在はコーヒーとは無縁の地らしいです。
言論の場としてのコーヒー
世界史で習ったと思いますが、コーヒーを提供するコーヒーハウスは言論の場としての役割を果たします。当時はまだお茶もそれほど普及していませんでしたが、お酒はあったはずです。しかし、お酒を飲むと、真面目な議論はなかなかできません。そこにノンアルコールのコーヒーが登場したことは当時としては革命的な出来事だったのかもしれません。(まさに「革命」的なので為政者から弾圧されることもあったようです。)
べつに飲み物がなくても普通に会って話しあえばいいじゃんと思わなくもありません。私なりに想像してみたところでは、喫茶店がない世界においては、フリースペース的な場所は定食屋か家しかありません。定食屋だと食べ終わったら店から追い出されます。ランチタイムやディナータイム以外の時間帯は開いていないという問題もあります。一方の家は招く側のコストが高いし、オープンスペースじゃないので、交流の可能性がカフェに比べると下がります。人が手ぶらで交流するのは意外と難しいようです。
そういう事情もありコーヒーはヨーロッパにも受け入れられていきます。
植民地での生産
需要がある作物はたくさん作るに限ります。しかし、現状、生産できるのはエチオピア周辺オンリー。そこで各地に植民地を築いていたヨーロッパ諸国がコーヒーの生産地を新たに設けるのは自然な成り行きです。
オランダ経由インドネシア行き、フランス経由ハイチ行きの便などをスタート地点として各地に伝播します。
なぜ中南米が強いのか?
こうしてエチオピアローカルフードだったコーヒーが世界のコーヒーになっていきますが、なぜランキング上位は中南米勢ばかりなのでしょうか?
価格競争
コーヒーの栽培が普及した時代、まだコンテナ船が登場するのは遠い先のこと。すなわち、輸送費が莫大な時代でした。そして、需要が大きいのは欧米です。
ここから導き出される答えは、欧米に近い生産地の方がコスト面で有利だったという側面があります。
ちなみに、ベトナムは90年代になって生産量を大きく伸ばしています。ここにはドイモイやら対米輸出解禁やらが関わってくるようなのですが、もしかしたらコンテナ船の普及も隠れた要因かもしれません。
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コーヒーのライバルの没落
中南米諸国が独立を果たすのは1800年代前半のことです。独立を果たしたのはよいものの不安定な経済基盤を固めなければなりません。そこで売れるものを作ろうという運びになります。
しかし、コーヒーにはライバルがいました。砂糖です。コーヒーよりも砂糖の方が輸送が簡単なため、18世紀頃まではコーヒーより砂糖を育てた方が効率いいじゃんという風潮があったわけです。
それを変えたのがナポレオンです。ナポレオンの大陸封鎖令によってヨーロッパ大陸はコーヒーと砂糖の不足にあえぎます。その結果、砂糖の自前での生産に成功します。これにより砂糖の価格は下落。
これならコーヒーを作った方がいいね!ということになり各地でコーヒー生産が進んだという側面があります。(カフェインを持つ植物がヨーロッパに存在せず、コーヒーの代わりとなるものは開発できなかったようです。)
疫病
当時の大国といえばイギリスですが、イギリス勢はコーヒーの生産に乗り出さなかったのでしょうか?
実は乗り出しています。その生産地はインドとスリランカ(=セイロン)。お茶のイメージが強いイギリスとスリランカですが、当初はお茶よりコーヒーの方が優勢でした。
しかし、インドとスリランカは悲劇に見舞われます。コーヒーさび病の発生です。コーヒーノキの間で発生するこの疫病がインドとスリランカを襲うと、たちまち二国のコーヒー産業は壊滅。こうして両者は生産の主軸をコーヒーからお茶へ切り替えます。
こうしてイギリスはお茶の国として進化していくのです。
このコーヒーさび病ですが、後にインドネシアにも広がります。インドネシアはさび病に強い品種へ転換します。これがロブスタ種です。もともとコーヒー界の圧倒的マジョリティは美味しいアラビカ種だったのですが、少し味が落ちる代わりに安いロブスタ種がここから徐々にシェアを伸ばしていきます。現在はアラビカ種とロブスタ種の割合は10:7くらいのようです*1。
中南米間の争い
以上の理由で中南米が好調な出だしを切るのですが、もう少し中南米にズームインしてみましょう。
生産者がいなければ産業は成り立たない
上にちょろっと書きましたが、中南米にコーヒーが流入した時、入り口になったのはハイチです。ここからしばらくハイチがコーヒーの生産大国で居続けるのですが、あることをきっかけにハイチはコーヒーの世界から足を洗うことになります。
はじめ、コーヒーの世界を支えた労働力は奴隷でした。それは、奴隷がいなくなると生産がたちいかなくなることを意味します。ハイチはまさに独立によりコーヒー生産の担い手がいなくなり、脱コーヒー化していくことになります。
対して、ブラジル(のサンパウロ)は先んじて手を打ちます。ブラジルと言えば? 移民ですね。卓球選手でもツボイ・グスタボ氏などが有名ですが、ブラジルに日系人が多いのは日本からの移民を大量に受け入れたからです。ハイチよりかなり遅れて奴隷解放がなされたブラジルですが、移民のおかげでトップの座が揺るぐことはありませんでした。
ツボイさんはサンパウロ出身のようですが、ブラジル内で移民の受け入れをしてコーヒーの一大生産地であるのがまさにサンパウロです。カズオ・マツモト氏もオヤマ・ウーゴ氏もサンパウロ出身。対して、日系じゃないウーゴ・カルデラノ氏はリオ・デ・ジャネイロ出身。卓球にも歴史ロマンがあったのですね。
コスタリカの生存戦略
コスタリカがコーヒーの生産に乗り出した時、すでにブラジルを始めとした各国が大量にコーヒーを生産していました。量で競っても勝てないと判断したコスタリカは質で勝負することにしました。
スターバックスが生まれた背景
今度は逆に消費サイドから見ていきましょう。消費量ランキングは以下のとおり*2。
EUを分解するとドイツが米国に次ぐ2位で、日本の後にイタリア・フランス、ロシアのあとにイギリス・スペインと続くようです。*3
というわけでコーヒーの消費大国はやはりアメリカ。アメリカのコーヒーと言えばスターバックスです。
スターバックスコーヒーはいかにして生まれたのでしょうか?
不味くなっていくコーヒー
時を遡ること1896年。それまで需要が供給を上回っていたコーヒーですが、ついに供給が需要を上回ります。そうなると価格下落が待っていますが、ここを境にして(世界大戦の影響もあり)コーヒーの価格は不安定になっていきます。
コーヒーが安くなることで美味しいコーヒーがアメリカで飲まれるようになり需要拡大に貢献する反面、生産サイドは地獄を見ます。時代は進み、冷戦に突入すると、これはアメリカにとって他人事ではなくなります。困窮した中南米諸国が共産主義に走ると敵が増えてしまいますから。
そこで国際コーヒー協定が成立し、コーヒーを一定価格で買い取ると同時に生産国の輸出量が制限されることになります。それは裏を返せば、どんなに美味しいコーヒーを作ろうと頑張っても価格は上がらないし、売れる量も増えない、ということを意味します。
こうして、コーヒーの価格が安定する一方で、コストカットがコーヒービジネスの正解となり、コーヒーは美味しくなくなっていったようです。
美味しいものを飲みたい人間の本能
当然、この流れに反発する人々が現れます。スペシャルティコーヒーという概念もアンチコモディティコーヒーの中で生まれたものです。そうした「美味しいコーヒーが飲みたいぞー!」という叫びの中で、スターバックスコーヒーが誕生します。
スターバックスが提供するのは、厳選された豆を自家焙煎した深煎りのコーヒー。アメリカという国は、茶の代わりにコーヒーを啜り、戦争による供給不足もあって、すっかり浅煎り派になっていました(日本でアメリカンコーヒーといえば浅煎りのコーヒーのことを言います)。それをひっくり返したスターバックス、恐るべし!
まとめ
コーヒーの歴史をざっとまとめるとこんな感じになります。
需要と供給のダイナミズムがいかに人間の文化に影響を与えるかというのをひしひしと感じていただけたのではないでしょうか。価格、疫病、競合、戦争、人間の本能……人類の歴史がここに凝縮されている気さえします。
というわけで、『珈琲の世界史』は非常に面白い本でした。詳しく知りたい方はぜひ一読することをオススメします。
ちなみに私は感化されやすいので、さっそくスーパーでスタバのコーヒーパウダーを買いました。本当にコーヒーか!?というくらい飲みやすくて美味です。
しかし、ふと思いましたが、カフェにはスターバックスがありますが、喫茶店にはスターバックス的な店がない気がします。これはなぜなのでしょうか? お茶の生産地が中国だったからでしょうか? この謎を解き明かすためにはお茶の歴史を学ばなければならないかもしれません。
ちなみに、つい最近こんなニュースが流れていたようです。
霜害でブラジルがダメージを負ったようです。もしかすると、これを期に喫茶店が伸びるかもしれません! そうなったら面白いのに!
偶然にもスタバはお茶業界に進出を始めていたようです。