昨日はだいぶ力を入れて、『ブルーピリオド』第11巻の感想を書きました。
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が、書き漏らしたことがあったので、補足します。
今回の巻が個人的にツボだったのは、小学生を惨めな存在として描いているところだったことに気付きました。
小学生というと、カワイイとか純粋とか(良い意味で)バカとかそういう切り口で捉えられがちです。あるいは、「あの頃は良かった……」というようにノスタルジックな視点で描かれがちでもあります。
でも、私は小学生の頃が人生で一番辛い時期だったように感じるのです。親や教師を始めとする大人たちに虐げられ、同世代の子供たちは残酷です。幼稚園まではなかった宿題を課され、闘争の中に投じられ、当然それに対処する術も持っていません。お金もないし、変化し続ける身体とも向き合わねばならないのです。
大人になればなるだけ、上から目線の人間は少なくなっていき、付き合う人々は分別がついていきます。日々の闘争における身の処し方もそれなりに会得していきます。身体の変化はだんだんとマイルドになっていくし、収入はサラリーマンであれば基本的にどんどん増えていきます。
小学生は辛いよ。大人よりもだいぶ。大人が心に抱えているトラウマも、小学生の頃のものが多いのではないでしょうか? 黒歴史もたぶん小学生か中学生の頃に生み出したものが大半なはずです。
というわけで、私はそういう可哀想な小学生観が大好きなのです。なんちゅーか、子供の頃に感じたモヤモヤを改めて観察してみることで浄化されるみたいなそういう感覚があるからです。
この方面の傑作が『おもひでぽろぽろ』です。私はこの作品を大人になってから初めて見た時、心に深く深く突き刺さりました。高畑勲作品では一番好きです。
大人の目線から小学生を見ているという点では『ブルーピリオド』第11巻にかなり近いかもしれません。
『聲の形』もかなり良い感じです。が、小学生の頃のトラウマの現在進行系度合いがかなり強めなので、上の2作品とは毛色が変わってくるかもしれません。