たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

お手軽に知的アピールをする方法

 古典文学や哲学書を読んでいると、なんだか頭が良くなった気がしますね。また、古典文学や哲学書を好む人はなんだか頭が良さそうにも見えると思います。

 しかし、古典文学というとなんだか小難しいイメージがあります。古典なのかはわからないけれど、三島由紀夫の小説は難しい言葉ばかりで遅々として読み進めることができません。カントの『純粋理性批判』なんか読んでも何が書いてあるんだかさっぱりです。

 そんなもんだから、「古典文学や哲学書を好む人はそれらを理解できる=頭が良い」という図式が成り立つのも当然です。そして、自分はそういう世界には立ち入ることすら許されていないんだと思ってしまいそうになります。

 でも諦めないで!

 まだ希望はあります。実は、読むのがとても簡単なのに、古典文学であり哲学書なジャンルが存在するのです。

 それが、古代ギリシア文学です!

 たとえば『オイディプス王』などは、古典中の古典であり、悲劇史に残る傑作です。そう聞くと、なんだか難しそうな気がするでしょう。ところが、全然そんなことはないのです。なぜならば、この本には地の文がないのです。そう、古代ギリシア文学は基本的に戯曲なのです。つまり、演劇の台本なんです。キャラクターの会話だけでストーリーが展開する、それが古代ギリシア文学。これはめちゃくちゃ読みやすいです。『オイディプス王』は普通に本を読んでいる人であれば1日で読めると思います。読み慣れていない人でもたぶんそんなに時間はかからないと思います。『アンティゴネー』もオススメですね。

 さらに、プラトンの本にも同じことが言えます。プラトンといえば、哲学の大家ですが、彼の著作はめちゃくちゃ読みやすいのです。なぜなら、彼の本もまたキャラクター同士の会話でストーリーが進んでいくからです。そう、プラトンの本ってのは、彼の師匠であるソクラテスが、論客を論破していくひろゆき的ストーリーばっかなんですね。私が読んだのは『メノン』『饗宴』『パイドン』あたりですが、これらは全て読みやすいうえに面白い。古代の人だからといって馬鹿にすることなかれ。これらの本を読むとソークラテースの頭の良さに脱帽することうけあいです。ただし、『国家』あたりは私も読み進められていないのでちょっと重めであることは否めません。ちなみに、大ヒット作『嫌われる勇気』は、このプラトンの本の形式を踏襲しているものと思われます(というかあとがきかなんかにそう書いてあった気がする)。

 アリストテレスの本も会話形式ではありませんが読みやすいです。うーん、アリストテレスを読んでいるなんて、なんて頭が良さそうなんだろう。

 とにかくこの時代の本は、まだ議論の積み重ねがそれほどない時代だからか、予備知識がなくても分かりやすい。しかも、古代ギリシア語を嗜む人は優秀なのかなんなのか、総じて訳が読みやすい(私は全て岩波文庫で読んでいます)。

 というわけで、お手軽に頭が良い気分になりたい人、頭が良いと思われたい人はぜひ古代ギリシア文学を読んで見ることを強く強くオススメいたします! ちゃんとした図書館であれば、たくさん置いてあるんじゃないでしょうか。