たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

「自由研究=人生」なのかもしれない

今週のお題「自由研究」

 

 自由研究といえば、人生は自由研究そのものです。

 自由研究はまずテーマを決めるところから始めなければなりません。人生においても問いを立てることが肝心です。しかし、これが究極的に難しい。私が考えるべきことはなんなのか? 私は何を探求したいと思っているのか? しがないサラリーマンとして生きていけばこの難題に対して答えを出さずに生きていくことができますが、そこには窮屈さと退屈と苦痛が満ち満ちています。逆に言えば、自由研究には人生の喜び(と苦悩)が詰まっているのかもしれません……。

 

 先日、Audibleで『ザリガニの鳴くところ』を聴いたのですが、大自然に囲まれて孤独に生きた主人公が生物のスケッチを出版するくだりがありまして。これを聞いて、良いなあと思ったものです(本当は主人公を羨む類の小説ではありませんが……)。私は生き物の観察が好きです。虫は大嫌いなのですが、隔離された空間にいる虫であればそれを観察するのは好き。

 昔、家の窓に蜘蛛が巣を張っていたことがあって、蜘蛛がどうやって巣を作るのか眺めるのはすごく楽しかった思い出があります。まず縦糸を張って、それから縦糸の間を横糸で繋いでいく。粘着性があるのはこの横糸だけで、蜘蛛の足を見れば、蜘蛛が横糸に触れないようにしていることが分かります。知識として知ってはいても、実際に目で見ると生命の神秘を感じます。考えてみれば当たり前のことなんですが、蜘蛛って無限に糸を出せるわけじゃないんですよね。ある程度糸を出したら、しばらく休憩するんです。圧倒的リアルとはこのことかもしれません。

 『新世界より』という日本のSF小説の傑作があるのですが、これに感化されてボノボの研究をしている人の本(というよりは写真集に近かったような気がしますが)を読んだことがあります(たぶん『ヒトに最も近い類人猿ボノボ』です)。アフリカで研究をする様子が描かれていたのですが、これも非常に面白かった。この時にはもう大学三年生くらいになっていたので生物学の道に進むのは諦めましたが、その頃から生物の研究には強い憧れがあります。

 現在、『三体』を読んでいます。この小説もSFなので当然っちゃ当然ですが、作者のアカデミックな世界への強い信頼が非常に感じられる作品で、これが今の中国人の感覚なのか……と恐ろしさを感じるほどです。こういうのを読むと、生物に限らず、学術の世界って良いなあ!という憧れが一層強まります(私の頭は単純なのです)。

 

 私はさっさと仕事をやめてしまいたい(=隠居したい)と思っているのですが、その後の人生、何をして生きていこうかと考えると何もない自分がいます。もちろん、オリンピックを自由に見られるようになりたいとか、Netflixの作品を見まくりたいとか、そういう欲望は色々とありますけどね。そういうインプットではなくて、アウトプットの話です。

 とりあえず世界一周あたりが定番ですが、ちょうどコロナ直前にニューヨークへ初めての海外一人旅を敢行した結果、自分には海外一人旅は向いていないのではと思ったので悩ましいところです。

 自由研究……。うーん、一考の余地ありかもしれません。