今期のドラマは『ドラゴン桜2』を見ています。面白いですねー。
私がこのドラマを視聴を始めた理由の一つに、平手友梨奈が出演しているというのがあります。というのも、私は昔、欅坂46が好きだったのです。そのため、平手友梨奈には複雑な感情を抱きつつ、やはり注目せざるを得ないという気持ちがあるわけです。
そしてある時ふと、久々に平手ちゃんに愛おしさを覚えたりしている自分がいることにふと気づく。
それから不意に頭の中を駆け巡る『二人セゾン』。久々に聴くかーと思って音源を探したら……ない! 知らんうちに外付けHDがぶっ壊れてた!
というわけで、MVを見たら、改めて見てもめっちゃ良い! 曲が良いし、映像も良い! そしてメンバーが若い! 欅坂46がなくなった今、改めて見たからこそ感じる良さもあります。
何年ぶりかに高まった感情の赴くまま、次の曲を見ました。それが『世界には愛しかない』。欅坂の楽曲の中では目立たない方だと思いますが、私はこの曲が大好きです。『徳山大五郎を誰が殺したのか?』も含めて好き。
というわけで、今日は『世界には愛しかない』について歌詞を中心に語っていきたいと思っているわけです。
が、ただ語るだけでは芸がないので、『ドラゴン桜2』リスペクトで読み解いて行きたいと思います。
読解キホンのキ
たった一つの重大原則
現代文というか、この世のあらゆる著作物を読む、見る、聴くうえで、最も重要な原則があります。それは、
作者が伝えたいことはたった一つである
ということです。自分で文章を書くようになると分かるようになるのですが、どんな作品も作者が伝えたいことは一点に集約することができます。そのたった一つの伝えたいことをあなたに伝えるために、作者は様々な策を巡らせています(その策については後述します)。逆に言えば、そうでない作品(言いたいことがバラバラな作品)は見るに値しないのが普通であるとも言えます。が、世に出る作品にそういったものはまずありませんのでご安心を。
私が受験生時代に読んだ参考書に『新釈現代文』という本があります。この参考書が伝えたいたった一つのメッセージがまさに「作者が伝えたいことはたった一つである」ということを伝えるために書かれた本でした(とはいえ、そのメッセージの真価に私が気付いたのは学生時代に自分で文章を書き始めた時でしたが……)。
この「作者が伝えたいことを探し当てる力」こそ、読解力だと私は思います。
構造化
さて、作者は様々な策を弄していると書きましたが、その策とはどのようなものでしょうか? 『ドラゴン桜2』では三つの構造で説明できるとしています。
- 同等関係 言い換え
- 対比関係 反対のものを置いて際立たせる
- 因果関係 原因と結果
文章をこれらのいずれかにグルーピングすることが肝だというのです。
キーワード
それからキーワードを見つけることも大事です。キーワードとは、作者が伝えたいことを説明するうえで欠かせない言葉のことです。キーワードは以下に注目すると見つけやすいです。
- タイトル
- 文章の頭と終わり
- 繰り返し出てくる言葉
『世界には愛しかない』を解釈する
前置きを長くしても仕方ないので、さっそく本題に参りましょう!
タイトル
キーワードを見つけるうえで注目すべきはタイトルでしたね。この曲のタイトルは『世界には愛しかない』です。まあ~、はっきり言って、この楽曲の作詞者が伝えたいたった一つのことはまさにこれです。
とはいえ、「世界には愛しかない」とはどのような意味なのか? 人によってその一文から感じることは違います。「そうです!アガペこそ全てなのです!」と思う人もいれば、「いや私アセクシュアルですからー!」と思う人もいるし、「世界には金しかない!」という人もいます。「世界には愛しかない」の意味を明確に伝えるため、「世界には愛しかない」という主張に反対する人を説得するため、作者は歌詞を書きます。
説得の方法は様々です。論理の力に頼れば論説になりますが、情緒に訴えれば芸術(あるいはデマゴーグ)になります。
ちなみに、このタイトルで、三つ韻を踏んでいます。
せかいに
はあいし
かない
1番 届かなくても手を伸ばさずにはいられない
「歩道橋を駆け上がると、夏の青い空がすぐそこにあった。
絶対届かないってわかっているはずなのに、僕はつま先で立って
思いっきり手を伸ばした。」
冒頭にはキーワードありがち♪なんでしたね。ここでもキーワードがあります。
- 青い空
- 絶対届かない
- 思いっきり手を伸ばした
初見でこれがキーワードだと考えるのは無理ですが、ポイントはあります。「すぐそこ」「絶対」「思いっきり」という強調語が使われているのです。
さて、読解のうえでは、構造化が大事なのでした。まず出てくるのは因果関係です。
歩道橋を駆け上がると → 夏の青い空がすぐそこにあった。
ちなみに、これは同等関係でもあります。物語に登場する描写は全て何かの比喩であると疑ってかかることがフィクションの読解においては超重要です。というのは、作者はたった一つのことを伝えるためにこの作品を作っているわけですが、その作品の密度を高めるためには無駄なものは全て削ぎ落としたいからです。一方で、鑑賞者の心に感動をもたらすにはある程度の遊びが必要な場合もある。このアンビバレンスを解消するのが比喩(特に暗喩)です。というわけで、ここから先、ほぼ全てが同等関係であるということは念頭に置いておきたいところです。
次に出てくるのは対比関係です。
A:絶対届かないって分かっているはずなのに
B:僕は思いっきり手を伸ばした
対比には伝えたいことを強調する意図があります。AとBのどちらを強調したいのか? それは当然、後に出てくるBです。だから、この曲のタイトルは『愛を貫くのは難しい』にはならなくて『世界には愛しかない』になるわけです。
ただじっと眺め続けるなんてできやしない
この胸に溢れる君への思いがもどかしい
このパートは「絶対届かないって分かっているはずなのに~」と、同等関係にあります。
しかし、一点だけ違う部分がありますね。「君」がここで初登場です。両者を比較すると、
夏の青い空=君
という構造だということがわかります。
「真っ白な入道雲がもくもくと近づいて、
どこかで蝉たちが一斉に鳴いた。
太陽が一瞬、怯んだ気がした。
「複雑に見えるこの世界は
単純な感情で動いている」
さて、この歌詞で一番解釈が難しい部分です。
頭は因果関係ですが、これは最初の一文と同じですね。
- 歩道橋を駆け上がると → 夏の青い空がすぐそこにあった。
- 入道雲が近づくと → 蝉たちが一斉に鳴いた。
これが意図的なものだとすると、この二つは対比関係にあると言えそうです。そう考えると
青い空 ⇔ 入道雲
このような対比になっていそうです。入道雲は雷雨を降らせる雲ですから。
問題は、「蝉たち」とは一体何なのか?
そして、「太陽が怯んだ気がした」にはどのような意味があるのか?
それを受けてなぜ「複雑に見える~」という一文が導き出されるのか?
ここは非常に難問です。
まず、簡単なところから攻めていきたいと思います。「複雑に見えるこの世界は~」この一文にはキーワードが含まれています。そう、「世界」です。ここから、この一文はタイトルの「世界には愛しかない」と同等関係にあると推測できます。そう考えると、つまり「単純な感情」とは愛のことなのです。「僕」の中で、「世界には愛しかない」という結論にたどり着く前の未成熟な仮説が思い浮かんだということかもしれません。
この仮説を導き出したのが、蝉たちが一斉に鳴いて、太陽が怯んだ気がしたという出来事だったわけです。
そうすると、蝉が意味するところも見えてきます。蝉はなんのために鳴いているのか? 交尾相手を引き寄せるためです。つまり、愛のために鳴いているというわけです。ですから、僕と蝉は同等関係にあります。
太陽は明らかに夏の青い空と強い関係があります。おそらく、僕=蝉と空=太陽は全く隔絶された存在だと思っていたけど、蝉の鳴き声で太陽が怯む=僕と空との距離はそこまで離れていない、という気がしたということではないでしょうか。
が、そうなると問題が一つ。入道雲と蝉との繋がりが非常に弱い。ここを補うように考えると、「白い入道雲」=「夏の青い空」なのかもしれません。以降の歌詞で雨が登場するので白い入道雲にネガティブなイメージを持ってしまいそうになりますが、この段階では「僕」にとって興奮してミンミンと鳴きたくなる魅力を持った存在なのかも。だからこそ、後で風が「夕立が来る」と警告を発する……と考えれば整合性はある気がします。(あるいは、影が差したことで逆に感情が昂ぶったと考えるか?)
最初に秘密を持ったのはいつだろう?
大人はみんな嘘が多すぎて忘れてる
ここで重要な対比関係が登場します。「大人は~」と大人を非難するような言葉が現れます。ここには「子供は嘘が少ない」という意味が含まれています。そうでないとしたら「大人は」と限定する意味がないからです。従って、
子供 VS 大人
という対立が設定されました。おそらく、主人公は子供であると推測されます。
ただ、「僕」も秘密を持っていることから、「僕」も大人になりつつある。つまり、大人とは親や教師などの大人ではなく、「僕」の中の理性的な部分と考えることもできそうです。どちらの説をとるかは自由だと思います。
さて、ここでも謎が。語り手にも秘密があるようです。その秘密とは一体なんなのでしょうか? 答えは後々分かってきます。
通り抜ける風は 僕に語りかける
もう少ししたら夕立が来る
新しい登場人物「風」と「夕立」。夕立なのに「降る」ではなく「来る」であるところはもポイントかもしれません。
夕立は雨で、青い空と対比関係にありますから、よくないもののメタファーだと予想できます。
夕立の到来を告げる風とは一体何者? まあ、「僕」の直感あたりでしょうか。
世界には愛しかない
(信じるのはそれだけだ)
ここでタイトル。ずばりそのまんまです。やはりこの作品のメッセージはこれに集約されると考えてよさそうです。
今すぐ僕は君を探しに行こう
誰に反対されても
(心の向きは変えられない)
それが(それが)僕の(僕の)アイデンティティー
ここは冒頭と同等関係にあります。しかし、異なる部分があります。
- 絶対届かないって分かっているはずなのに、思いっきり手を伸ばした
- 誰に反対されても 、僕は君を探しに行こう
冒頭では、自分の気持ちと対比されていたのは、自分の理性だったのですが、ここでは周囲の反対になっています。
ここに来て、「秘密」の意味がだんだん分かってきた気がします。なぜ人は秘密をもつのか? それはそれを秘密にしておかないと大変なことになるからです。周囲の反対を受ける僕の君への思いこそ、秘密なのだと予想できます。
もし、大人=「僕」の理性、と考えるなら、自分で押し殺している気持ちのことを秘密と言っていると解釈することもできます。「絶対届かないって分かっているはずなのに」と「誰に反対されても」は同じことを意味している!と考えるなら、大人=「僕」の理性説の方が有力かもしれないですね。
2番 雨との向き合い方
「空はまだ明るいのに、突然、雨が降ってきた。
僕はずぶ濡れになりながら、街を走った。」
「夕立も予測できない未来も嫌いじゃない。」
風が予言した夕立が到来しました。
夕立 =予測できない未来
という言い換えが成り立ちます。だから、夕立が「来る」だったんですね。
しかし、語り手は、「嫌いじゃない」と言います。
ちなみに、風に予言させたのは、「僕」にとって夕立は完全に想定外の出来事というわけではないことを意味しているのかもしれません。つまり、さんざん周りから警告されていた事象だというわけです。風=風説だということですね。
最後に大人に逆らったのはいつだろう?
諦めること強要されたあの日だったか…
ここでも出てきた、子供VS大人。前回は嘘の数で対比をしていたのでした。しかし、今度は、支配するものと支配されるものという対比関係になっています。
些細ですが、ここは「最初」と「最後」も対比になっています。
アスファルトの上で雨が口答えしてる
傘がなくたって走りたい日もある
ここで新たな対立構造が登場します。
アスファルト VS 雨
語り手は夕立(=雨)が嫌いじゃないのでした。そんな雨がアスファルトと口喧嘩をしている。もう一つの対立構造は
大人 VS 子供
でしたので、
大人 = アスファルト
子供 = 雨
というメタファーだと考えられそうです。
語り手は言います。「傘がなくたって走りたい日もある」。これをひっくり返すと、「大人は傘がなければ雨の中に飛び込まない」=「大人は予測できない未来を嫌う」となりそうです。
未来には愛しかない
(空はやがて晴れるんだ)
悲しみなんてその時の空模様
すでに出てきたフレーズの繰り返しですが、世界が未来に変わっています。そして、「空はやがて晴れる」とも言っています。
というわけで、2番は以下の構造によって成り立っています。
子供 = 君のいる未来を信じればリスクも楽しめる
VS
大人 = リスクがあるから君のことなど思うな
涙に色があったら
(人はもっと優しくなる)
それが(それが)僕の(僕の)リアリティー
解釈が難しいパートです。問われるのは読解力より想像力という領域かもしれません。ぼんやり聴いていると、「涙に色があったら人はもっと優しくなる」→「心の悲しみが見られたら人は人に優しくできるのに」くらいの意味で捉えてしまいそうになりますが、それだと歌詞の中からここだけ浮いてしまいますし、冷静に考えると意味が分かりません。
ここでは、涙は雨との言い換え関係にあると考えてみます。同じ水滴ですし、僕=雨という関係性もあります。そうすると「色」の意味もある程度狭まってきます。
涙(=雨)に色があったら=悲しいアクシデントも楽しむことができたら
と解釈することができるのではないでしょうか? この仮定のもとであればもはや子供VS大人の対立構造も解消されるわけで、整合性も取れています。
リアリティーについてはアイデンティティーとの韻を踏んでいるのですが、ここでのリアリティーは現実というか世界観という意味でしょう。
3番
君に遭った瞬間 何か取り戻したように
僕らの上空に虹が架かった
これは因果関係ですね。
君に遭った → 虹が架かった
そして、
君 = 夏の青い空
でしたから、代入すると
夏の青い空に遭った → 虹が架かった
という意味になります。つまり、
不意に雨が止んだら → 虹が架かった
ということです。
問題は、このメタファーが何を表しているかということですね。
「僕」と「君」との関係性が夕立を経たことで、かえって虹によってより美しいものになったのかもしれません(そして、この虹と前出の「色」はイメージとして繋がっているのかもしれません)。
また、虹が「架かった」と漢字で書いているところから、「僕」と「君」との間に橋が架かった(「君」に手が届く可能性が高まった)というようなイメージもあるかもしれません。
そして、「会う」ではなく「遭う」という漢字を使っているところから、そのタイミングがいつになるかは分からない(分からなかった)ということが示唆されています。
世界には愛しかない
(信じるのはそれだけだ)
今すぐ僕は君を探しに行こう
誰に反対されても
(心の向きは変えられない)
それが(それが)僕の(僕の)アイデンティティー
ここに来て初めて、完全なる繰り返しが出てきました。やはりここがキーワード(キーフレーズ)であることは間違いないでしょう。
「全力で走ったせいで、息がまだ弾んでた。
自分の気持ちに正直になるって清々しい。
僕は信じてる。世界には愛しかないんだ。」
「全力で走った」とありますが、「僕」はいつ走っていたのでしょうか?
振り替えると走る描写は以下の三つ。
- 歩道橋を駆け上がる
- ずぶ濡れになりながら、街を走った
- 傘がなくたって走りたい日もある
この歌は時系列順にストーリーが進んでいるようなので、「僕」はこの物語の間ずっと走っていたようです。そりゃ息も弾みます。ちなみに、楽曲もMVもこれを意識してか、疾走感のあるものになっています。
これは完全なる私見ですが、秋元康氏は走るという行為に青春の香りを感じていると思われます。大人になるとめったに走らないですからね。疲れるので。疲れるけど走ると清々しい気分になるというのは、子供はリスクも楽しめるというところに繋がっていると思います。
「君」とは?
さて、一通り読み終わりましたが、「君」とは一体なんなのでしょうか? 特定の人物なのでしょうか? しかし、誰かを好きになるということは大人の反発を受けることなのでしょうか? まあ、アイドルだったり不倫だったりという特定の条件のもとではそうかもしれません。そしてこれはアイドルソングですから、あながち間違っているとも言いづらいところはあります。ただ、そうだとすると「君」の描写が乏しいのは気になります。そして、絶対に届かないといったような表現は過剰ではないでしょうか。
というわけで、個人的には、「君」とは人物ではなく、夢や憧れのことなのかなと思います。MVにも男子が登場しますが、彼らは意中の人なのではなく、音楽に打ち込んだりホームランを打ったり恋をしたりといったキラキラとした青春を象徴しているのではないかと。
要約
要約すると「世界には愛しかない」という言葉に込められた作者の気持ちは「どんな障害があったとしても自分の気持ちに正直になって欲しいものを追い求め続けよう。それ自体が喜びだから」といったところになるのではないでしょうか。
つまらねー結論だなと思うでしょうが、つまらねー結論をつまらねーと思わせない技術が歌という芸術なんですね。
余談
以上では、あえて秋元康がどーの欅坂46がどーのという予備知識は極力排除しました。
こうして見直して気付いたのですが、私がこの曲を好きな理由の一つに、自然の描写が多いことがあるなと思いました。空だの蝉だの入道雲だの、そういった一つ一つが想像力を刺激するパワーを持っていると思います。名曲に季節感のある曲が多いのはそういう理由もあるのかも!
で、必然的にMVにも自然が多くなるという。Wikipediaを読んだら、ロケ地に草原を選んだことに難色を示した人がいたそうで……「今野!そこに愛はあるんか!?」と言いたくなりますね。いや、このロケ地、本当に綺麗に見えるので一度は行きたいです。
疾走感を生み出しているのがドローン。2016年の撮影でドローンを使っているのはわりかし先進的なのかなという気がします。どうなんだろう? 当時はあまり見なかったような?
傘ダンスも色鮮やかで美しいです。なんとなく若干のラ・ラ・ランドみを感じます。
「僕らの上空に~♪」の平手の表情がめちゃくちゃ良いし(これがデビュー一年目の15歳ですよ!)、「虹が架かった~♪」のちょっと後にゴースト(虹色の弧)が映っているのも良き! というか全体を通して、この時の平手友梨奈、美しい。
というわけで、この記事が伝えたいたった一つのことは「『セカアイ』ってめっちゃ良いよね」ということなのでした。