たぬきのためふんば

ここにはめたたぬきが糞をしにきます。

街の中に芸術品を置くのではない、街自体が芸術品なのだ

今週のお題「好きな街」

 

 私の好きな街はローマです。

 ローマには良いところがたくさんあります。食べ物(ピッツァ、パスタ、ジェラート……)は美味しいし、(私が行った当時は)簡単な日本語を使える人が店先にたくさんいたし、ローマ帝国時代の遺跡がたくさんありますし、ヴァチカンに行けばキリスト教がかつてどれだけ大きな力を持っていたかを目の当たりにすることができるでしょう。美術館もたくさんあり、そのどれもが極めてレベルが高い。美術館巡りだけで一週間潰せるというか、じっくり回っていたら一週間では足りません。

 

 しかし、個人的に何よりもポイントが高いのは、街自体が芸術品であることです。ローマという都市の中に芸術が置かれているのではなく、芸術がローマを作っている。芸術とローマは一体不可分なのである、ということなのです。

 

 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニという芸術家をご存知でしょうか。

 「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」と賞賛される巨匠。

 彼の芸術作品が街中いたるところにあるのがローマなのです。ナヴォーナ広場には『四大河の噴水』『ムーア人の噴水』『ネプチューンの噴水』があり、『ローマの休日』で有名なスペイン広場の前にも『船の噴水』があります。

 ベルニーニは建築も手掛けており、サン・ピエトロ大聖堂の前のサン・ピエトロ広場はベルニーニの仕事です。現在はイタリアの国会議事堂として使われているモンテチトーリオ宮殿もベルニーニが設計したものです。

ネプチューンの噴水

 ベルニーニの他に、万能の天才ミケランジェロラファエロも建築を手掛けています。詳しくないのでこれぐらいしか語れませんが、芸術家が作った街がローマといっても過言ではないはず! 有名なトレヴィの泉も非常に美しいです。

 

 とかく我々は人生における余剰と生活必需品とを分ける傾向にあります。

 生活の土台はとりあえず無味乾燥で安上がりなもので用意しておいて、その上に生き甲斐を置くのが普通です。

 家に観葉植物を置こうという人はいても、家を森にしようと考える人は稀です。熱帯魚を飼う人はいても、海中に家を建てようと思う人は稀です。

 しかし、ローマでは、建物の中に芸術品を置くし、建物自体も芸術品にするということが行われていたわけです。もちろん現代建築も一種の芸術品なのでしょうが、生活に溶け込んでいて見えづらいものです。その点、ローマの建築や広場は芸術であることが見えやすいです。特に日本人にとっては地理的にも時代的にも宗教的にも言語的にも完全に異世界ですからなおさら顕著ではないでしょうか。

 ローマのことを思うと、「機能性に囚われるな」という声が聞こえてくる気がします。生活のすべてを芸術で満たしたってよいのです。

 ローマは我々の固定観念を揺るがせてくれる街。これぞまさに芸術。そんな気がします。

クイズここはどこでしょう

今週のお題「好きな公園」

 

 私の好きな公園はこちらです。

 くまあああああああああ。

 三匹もくまがいる! まるで『ゴールデンカムイ』の世界です。今ならヤングジャンプのサイトで全話無料で読めるよ。ってことは北海道?

 さあ、ここがどこか分かりますか?

 この写真は肖像権に配慮しているため誰も写り込んでいませんが、本来、この公園ではたくさんの人が犬を散歩させています。しかし、どの犬もリードを付けていません。

 犬はのびのびと自由に走り回っているのですが、飼い主が離れるとそれにちゃんとついていきます。聡明なわんこしかここにはいないのです。

 私もマキマさんの犬になりたいです。

 大きな池。氷の下ではきっと亀が泳いでいることでしょう。不忍池ではありませんよ。

 好きな女の子とスワンボートに乗るのは憧れですが、ここにはそんなものはありません。

 謎の像。なんでここにあるのかも分からない像。しかも逆光でまるで見えない。かろうじて分かるのは、馬の上で人が剣を掲げているということだけ。勇壮なようでいて滑稽なようでもある。まるで自分がこの世に生まれた意味を探してがむしゃらに頑張っている私たちを表しているようではないか。

 城。何かを防衛するために建てられたのではない城。松山城のような機能美はここには存在しない。飾りとして建てられた、まるで無意味な城。しかし、無意味さの中にこそ遊びを感じることができる。

 あなたの生活空間は意味のあるものばかりで埋め尽くされてはいないだろうか? ときには無意味なものを生活空間に取り入れることがあなたの癒やしになるかもしれない。

 遠くに見える摩天楼。摩天楼とは天を摩擦する楼閣という意味。スカイスクレイパーの直訳とは思えないおしゃれさ。摩天楼と訳した人は天才。この日は雨天で空が低かったので摩天楼感マシマシだす。

 

 そう、ここはセントラルパーク。直訳すると中央公園。

 北海道、不忍池松山城といった言葉で国内を意識させていたから、まさか海外だとは思わなかったことでしょう。ふふふ、これがミスディレクションです。

 西にはナイトミュージアムの舞台であるアメリカ自然史博物館、東にはメトロポリタン美術館、南に行けばタイムズスクエアがある。公園内には動物園もあればストロベリーフィールズもある。フォーエバー。

 ここはまさに大都会ニューヨークの中心。つまり世界の中心。ここに来ればあなたもニューヨーカー。ここに来ればあなたも地球市民

 コロナ禍の直前に行った私はまさにラッキーボーイ。

 海外旅行をしたくなったみなさんは『アルゴ』という映画を見ましょう。空港の入国審査のドキドキを味わえる映画です。ちなみにあれはノンフィクション映画なのにゾンビ映画のエッセンスを取り込んでいるところが最大の魅力だと思います。

 

 まあ、写真があった&ネタにしやすいのでセントラルパークを選びましたが、正直に言えば、上野恩賜公園の方が絶対見どころ多いし(だって上野動物園東京国立博物館国立科学博物館国立西洋美術館があるんでっせ!?)、国立公園(尾瀬とか上高地とか)の方がより大自然を堪能できて楽しい気がしますね。

 国立公園コンプリートしたいなあ。

www.env.go.jp

なぜか聴かずにはいられないビジネスウォーズ

 以前、歩いている時間を無の時間にするためにAudibleを解約すると書いたのですが、あの直後にゆる言語学ラジオというコンテンツを発見してしまいました。

 

 あなたは「た」の用法を6個言えますか?


www.youtube.com

 

 このゆる言語学ラジオ、YouTubeでの配信がメインだと自分は認識しているのですが、ポッドキャストでも配信しているので、Amazon MusicSpotifyでも聞くことができます。

 面白いので初回から通して見たのですが、家にいる時にYouTubeで見るだけだと時間がかかるため、ポッドキャストでも聞いていました。

 そのおかげで一ヶ月弱で最新回まで追いついたわけですが、そうするとこれまで毎日ポッドキャストを聞いていたのに、聞くものがなくなってしまうという現象が発生しました。この頃には「歩いている間は何も聞かない」という当初の志も忘れています。

 そこでなにか聞くものはないか……とコテンラジオやハイパーハードボイルドグルメリポートを聞いたりしてみたわけですが、なにか物足りない……。

 そうしてたどり着いたのが、ビジネスウォーズです。

 

Amazon Musicのポッドキャスト番組「BUSINESS WARS / ビジネスウォーズ」

 

 ビジネスウォーズはその名の通り、企業と企業の競争の様子をオーディオドラマ化したコンテンツです。アメリカのWONDERYが制作したドラマをニッポン放送が翻訳して配信しています。

 最新のテーマがマクドナルドVSバーガーキングです。

 なんかおもしろそーと思って聞いて、見事に気に入りました。今は一つ前のテーマである「ワクチン開発競争」編を聞いています。

 ただ、めちゃくちゃ面白いかというそういうわけでもなかったりします。なんなら、実はストーリーの完成度はそんなに高くないのではという気さえしています。

 というのも「マクドナルドVSバーガーキング」といいつつ、マクドナルドは始まりから終わりまでずっと圧倒的に優位で、バーガーキングマクドナルドの地位を脅かす場面はほぼありません。それぞれがそれぞれにピンチになって、それぞれがなんとか打破していくのを並行して描いているだけという印象でした。じゃあそれぞれのストーリーにいい感じの起承転結があるかといえば、それも特にありません。あれ? もう終わり?といった感じ。

 それなのに、なんか他のシリーズも気になってしまうのはなぜだろう?と考えた時に思ったのは、このフォーマット自体が面白いということです。具体的には

  • 企業の歴史を描いている
  • 対立構造を用いている

この二点が私のツボをおさえているなあと感じます。

 企業の歴史は面白いコンテンツです。ピンとこない人も多いかもしれませんが、『ジョジョの奇妙な冒険』や『賭博黙示録カイジ』が日本でかなり人気のコンテンツであることを考えると、企業歴史ものはわりと万人受けするジャンルなのではという気がします。なぜならば、企業の歴史には金を巡って、人間が知恵比べをするシーンが詰まっているからです。しかも、それがただの空想ではなくまぎれもない現実であり、我々の日常を構成する有名企業の裏側なのですから。

 さらに人間は闘争が好きです。スポーツは闘争以外の何物でもないし、フィクションのメインストリームは昔からバトルものです(根拠はありませんが)。企業の歴史にも競争は欠かせませんが、ビジネスウォーズはダメ押しで「○○VS△△」という構図を強く押し出しています。

 映画なら昔から「ゴジラVSモスラ」みたいなのはよくありますが、ポッドキャストだとこういうジャンルはあまりないのではないでしょうか。

 というわけで、今後ビジネスウォーズが何を題材にしようと、このフォーマットを続ける限り、ライバルが現れない限り、私は聞かずにはいられないのではないかという気がします。

 

 ちなみに、Netflixの番組でも企業の歴史っぽいものを最近見まして、それが『ハイスコア ゲーム黄金時代』です。

www.netflix.com

 これはゲームの歴史を振り返るドキュメンタリー番組なのですが、軽妙な語り口調もあってまあまあ面白かったです。

 日本のゲームの話も当然でてくるのですが、当時の日本のゲーム業界は世界を見ていたんだなあと驚きましたね。ゲーム業界は今でも世界を見据えているかもしれませんが、映画にせよ音楽にせよアニメにせよ日本の会社は国内しか見ない傾向にあると思っていたので。韓国がK-popや映画ドラマを世界展開しようとしているのと同じようなことを日本でもやっていた時期があったんだなあと感心しました。企業の歴史は国や社会の歴史でもあるのです。

 

 それはそれとして、この「フォーマットが面白い」ってけっこう大事だなと感じた次第です。

 ゆる言語学ラジオが面白いのは、「堀元と水野が会話する」というフォーマットが面白いからだと思うんですよね。ゆる言語学ラジオは言語学に関する回も面白いのですが、雑談回も面白い。これがゆる言語学ラジオの強みで、雑談回が間を埋めてくれるから、ガチの回のクオリティを時間をかけて高めることができるのです。それに堀元さんと水野さんの会話が面白くなければ、視聴者は題材によって見る見ないを決めるでしょう。しかし、堀元さんと水野さんなら何を話題にしても面白いから、「た」なんていうつまんなそ~な話題でも見る気が起きるわけです。

 中田敦彦YouTube大学にも同じことが言えます。中田敦彦YouTube大学の視聴者は基本的には中田敦彦のプレゼンが見たくて見ているのです。YouTubeで知識を得ようと思って見ているわけではないのです。その証拠に、一番人気の動画は中田敦彦のしくじり武勇伝だし、逆にゲストを呼んで対談する回は再生回数があまり伸びていません。

 ジャルジャルタワーもジャルジャルが毎日「〇〇な奴」というタイトルでネタを上げていることに意味があるのです。これがあるから、毎日義務感にかられて真顔で見てしまうんです。もし今のスタイルの代わりに、「寝具店」だの「蓄積」だのといったタイトルの舞台上でやるネタを一ヶ月に一回アップロードする形になったりしたらチャンネル登録者数は減りはしないかもしれませんが伸びることもないでしょう。

 

 私は影響を受けやすいたちなので、十年ぶりくらいにマクドナルドに行ってみました。

 昼にはダブルチーズバーガーとマックフライポテトとマックシェイクを、夜にはビッグマックチキンマックナゲットをモバイルオーダーで注文しました。注文の3分後には(ストップウォッチで計測しました)、あの工業製品感のあるハンバーガーができあがっていました。バンズ、パティ、チーズ、どれを取っても一口食べるまで食べ物という感じのしないあの不思議な物体。モスバーガーならもっとみずみずしいものが出てくるのに。でもみずみずしくない分、食べやすいんだな、これが。店内では家族連れがファンシーな座席に座っていました。テンションの上がった女の子がお母さんに「静かにしなさい」と怒られていました。

 変わらない。マクドナルドは変わらない。家族は変わらない。

 マクドナルドもまた、フォーマットが魅力的だからこれほど広く長く愛されているのでしょうね。

www.1242.com

FXはじめました

 本当は「今やるならFXしかない」だの「今FXをやらないでいつやる」みたいなタイトルを付けたい気分なのですが、初心者に毛が生えたレベル(ですらないかもしれない)なので控えめにいきます。

 

 FXとはなにか? 下のサイトから引用します。

FXとは FX基礎知識 - はじめての方へ|ひまわりFX|ひまわり証券

FX(外国為替証拠金取引)とは、外国為替取引を「証拠金」で行う取引です。「証拠金」は、取引を行う際に相手方に預け入れる「担保金」のようなものです。FXは、将来必ず決済(反対売買)することが約束された「差金決済」という決済方法を採用した取引です。そのため、総取引額の現金(キャッシュ)の受渡しは必要とされず、売買の損益の受渡しのみで取引が完結します。
例えば、ドル/円が1ドル=100円のときに10,000ドルの取引をするとしましょう。本来であれば100円×10,000ドル=100万円がなければ10,000ドルを手に入れることはできません。
しかし、FXは上述のとおり差金決済を採用した証拠金取引ですので、総取引額(100万円)の数パーセントの証拠金を預け入れるだけで、10,000ドル分の取引を行うことができるのです。

 まーよーするに「ちょっとお金を借りて通貨を売り買いして儲けたいな~」という営みと考えればいいのではないかと思います。

 

 FXでは二つの収益源があります。一つは、通貨を安く買って高く売った時の差額による利益。キャピタルゲインです。

 もう一つは、二国間の金利差によって生じる利益、スワップポイントです。これは値動きに関係なく貰えるインカムゲインです。

 スワップポイントは2022年4月は円ドルでドルを保有している場合、だいたい10~20円で推移しているようです。これは一万ドルを持っている時に一日あたりに受け取れる額です。130万円持っていると年に4000円くらいの利子が付くってことでしょう。

 年利1%に満たないんじゃあ大したことないな……と思うでしょうが、FXはレバレッジを掛けられます。実際に自分が持ち出すお金以上の資金を動かせるということです。なので、レバレッジ次第では手持ちが10万円程度でも、年4000円くらいの利子が期待できるということになります。そうなると実質的な金利は4%くらいにまで膨れ上がります。

 スワップポイントだけで考えますと、金利が高い通貨の方が魅力的です。円でドルを買うとスワップポイントが貰えますが、ドルで円を買うと逆にスワップポイントを払わなければなりません。スワップポイントだけを考えればドル買い一択です。

 今、アメリカは近いうちに利上げをするムードになっています。

news.yahoo.co.jp

 一方、日本は利上げをすることができないと言われています。ここが一番の肝ですが、難しい話なのであまり立ち入りません。下が分かりやすい記事かなあ。

news.yahoo.co.jp

 アメリカは利上げをするが、日本は利上げをしない。シンプルにそう信じれば、今の状況で円高に振れる材料はなさそうです。ウクライナ危機にも関わらず「有事の円買い」は起こっていませんし。ドル買いのリスクがここまで低い状況は一生に一度あるかないかではないか……という気持ちに私などはなってしまいます。

 ちなみに、米国株はどうなのかっつー話ですが、金利が上昇すると株価は下がると言われてますし、実際、昨夜は大きく下げました。なので今は微妙な気がします(ドルコスト平均法によらない場合の話)。日本株も買う理由があまり見つかりません。

 というわけで、今はFXをやるのがベスト!FXをやるなら今しかない!と判断した次第でございます。

 ちなみにドルじゃなくてもいいのでは?という思いもありますが、手数料が一番安いのがドルなのでとりあえずドルで間違いはないだろうと考えています。

 

 私の頭蓋骨の中にあるスーパーコンピュータの計算によれば、これを読んで誰かがFXを始める確率は0%ですが、念のため予防線を張っておくと、FXはレバレッジをかける分、得と同じくらい損も大きくなる競技です。国際情勢はいつ何が起こるか分かりませんので、FXを行う際は自己責任のもと慎重な検討をおすすめいたします。

 確率0%のリスクにも備えるくらい慎重派な私は、レバレッジ25倍でプレーしていますが相場は読まずに定期的に買い入れをして買ったら放置という方針ではじめました。株の長期投資と同じノリです。それにも関わらず急激な上昇相場につられて買い入れのペースを速めるという愚行に走ってしまっています。人の心というものは弱いものですね。

『田舎教師』感想 これはあなたの墓標である

 田山花袋田舎教師を読みました。私は自分の墓標を見ていました。

 

 主人公の名は林清三。中学校(今で言う高校に近いものだと思います)を卒業したての彼が教師になるところから物語は始まります。

 清三の両親はろくな収入がなくて、3人家族にも関わらず、清三が働かないことには生活が成り立ちません。だから親友の親に教師の職を見つけてもらって、埼玉は行田から三田ヶ谷村の弥勒という場所に赴くこととなりました。位置関係はだいたいこんな感じ。

 中学の時の親友は高等師範学校を目指したりして、さらなる進学を志しています。最も仲の良かった加藤には想い人がいて、そのラヴがだんだんと進展していったりもします。

 清三は貧しい田舎暮らしをしながら、旧友たちの輝かしいライフを部外者として傍観します。

 清三は時に風俗嬢に入れあげて借金まみれになったりもしつつ、田舎暮らしに馴染んでいきます。馴染んだ頃には清三の体は病に冒されていました。日露戦争で日本軍が遼陽を占領したという報が国内を駆け巡ります。祭りの日、清三はひっそりと死にます。

 

 そんな感じの話です。

 まあ正直あんま面白い話ではありませんでした。

 ただ、私はこの本を読んで「こいつは俺だ。俺はこのとおりだったんだ」と思いました。

 私も田舎で働く身。満員電車や渋谷の人混みが大嫌いで、職があるなら田舎のほうがいいやという思いも多分にあるのですが、それでも惨めさを感じることがあります。

 なんでこんなしょうもない仕事をしているんだろう? もっと世の中の役に立つ仕事がしたい。もっと感動を与える仕事がしたい。もっと自由に働きたい。もっと楽しい仕事がしたい。同級生は有名企業の役員になっていたり、マスメディアに載っていたり、裁判官になっていたりするのに。それに周りの人はみな結婚して子供まで作ったりしているけれど、自分にはそんな兆しはまるでない。別に求めちゃいないけど、隣の芝生がやたら青く見えて仕方ない。

 そんな日もあります。

 というか私だけでなく、世の中にはそんな人が多いのではないでしょうか。時代が進むにつれ、ラジオが生まれ、テレビが生まれ、インターネットが生まれ、SNSが生まれる。世界がつながっていくにつれ、世の中に比較対象がどんどん増えていく。きっと当時より今のほうが、たくさんの林清三がいるに違いありません。

 今の時代なら清三は視聴数100もいかないyoutuberになったり、PV数10もいかないブロガーになっていたりするのでしょうね。

 この小説の悲しいところが、そんな清三の人生が見事に面白みに欠けることです。なんて起伏のない物語なのだろうか……。

 いや、真の意味で起伏がないわけではありません。季節も巡ります。しかし、十分ではありません。大きな夢を夢見ている林清三はこの小説を楽しめないに違いないのです。この小説を楽しめる人は、荻生くん(清三の同級生。田舎暮らしを楽しんでいる)のようなあるがままを純粋に楽しめる人なのでしょう。

 

 この記事を書くにあたって、下の本を発見したので読んでみました。

 『田舎教師』をどのような経緯、どのような思いで書いたかを作者自身が述べている本。10頁くらいなのですぐに読めます。青空文庫なので無料です。

 『田舎教師』は実在した小林秀三という青年をモデルにして描かれた話です。これを書くにあたって小林秀三が生きた地を取材したこと、観察をせずに書いた部分が現実とずれていて後悔したといったようなことが書かれています。

 これを読んで、私は「ああそうか」と思いました。

 小林秀三の人生は、本当なら日露戦争の栄光の陰で誰からも忘れられるはずのものだった。それを田山花袋が秀三の日記をもとに『田舎教師』として残した。脚色はほどほどに、実地に赴いてなるべくあるがままに書き残した。だから、ありふれた退屈な青年の悲しい人生が100年後の私の手元に生き続けている。この小説を通して、私は私の墓標を見ていたのだ。

 日記や小説を書くことの意義や自然主義文学の価値がここにある気がします。

『さよなら絵梨』感想 こないだ中学生になった優太が12さいの誕生日を祝われてるの謎すぎる

 今週月曜日に藤本タツキ先生の『さよなら絵梨』が公開されました。

 読んでない人は早く読んだらええやんええやん。以下は読んでいる前提で書きます。

デッドエクスプロージョンマザー

 優太が闘病の過程をスマホのカメラで記録するよう母に命令されるところから物語は始まります。

 何気ない日常の連続。漫画にするには退屈な風景。しかし、メメント・モリ。死が意識されているので、退屈な日常の尊さが表現されているようにも思えます。

 母の病状は悪化の一途をたどり、ついにその死を看取ることになろう日が訪れます。父と連れ立って、病院に入ろうとしたその瞬間。優太は逆走します。優太の背後で病院は爆発。優太は叫びます。

「さよなら母さァーん!!」

 

 いやー、いい話だなあ!

 この漫画はここで終わりです。

 ここから先はもう一度、同じ話が発展した形で繰り返されるだけです。

 メロディーが形を変えて繰り返されることで一つの楽曲ができあがるように。

さよなら絵梨

 『デッドエクスプロージョンマザー』を酷評された優太が自殺を試みる寸前、絵梨に出会います。彼女はじらした末にこんなことを言ってくれます。

貴方の映画っ

超っ~!面白かった

 ビンビンですよ神。

 人は誰しもこんなことを言われたくて生きているのだという気がします。

 次は見たやつ全員に同じことを言わせる。そのために修行をするぞ。というブチ上がる展開です。

 最初に述べたように、ここからは『デッドエクスプロージョンマザー』の繰り返しです。しかし、ただの繰り返しではない。何が変わったのかに注目していきます。

伏線

 まず伏線があります。

物語の積み重ねと私の人生に共感があったから泣いたの

 絵梨がベタな映画で泣いた理由を説明していますが、「私の人生に共感があったから」の部分が伏線になっています。

 それから、戦いに勝利すると小さくピースする癖の話もあります。これが後々かなり効きます。『さよなら絵梨』で同級生たちがブチ泣かされるシーンで、小さいピースが1ページ使ってドンと描かれるのは胸熱すぎる!

 乳首が出るとよっしゃあって言う癖の話をくっつけているのも匠の技かもしれません。これがギャグとして機能しているからこそ、小さいピースが我々の記憶に焼き付けられるわけです。

どんでん返し

 絵梨が優太の映画の良かったところを挙げるシーンがあります。

まず病院から逃げるトコ

あの映画では良い話の様に進んでたけど

中学生の息子に死ぬ所を撮らせようとするなんて残酷な事じゃない?

だから優太が病院から逃げて爆発した時にスカッとした

次に感動したのは母親を綺麗に撮っていたトコ

あんな風に綺麗に撮って貰えたのなら私だったらとても嬉しい

 このセリフが暗示しているように、優太の母親はわりとひどい母親でした。絵梨もわりとひどい友人でした。

 カメラは世界の一部を切り取ったものでしかない。映画は演出された物語でしかない。普通の人は意識しないはずですが、映画の外側にも物語があるのです。

 映画の裏側を見せることでコペルニクス的転回が起こる。

 『デッドエクスプロージョンマザー』の見方が変わるし、これから見る映画の見方も変わってくる。そこに面白さが生まれる。

 一個の意味しか持たなかった物語が、二つ以上の意味を持って生まれ変わるわけです。

 これは必ずしも映画に限った話ではなくて、人生についても同じことがいえます。

響くセリフ

 『さよなら絵梨』には『デッドエクスプロージョンマザー』と違って響くセリフがあります。特に親父が名言製造機です。

創作って受け手が抱えている問題に踏み込んで笑わせたり泣かせたりするモンでしょ?

作り手も傷つかないとフェアじゃないよね

優太は人をどんな風に思い出すか

自分で決める力があるんだよ

それって実は凄い事なんだ

 上で映画も人生も同じだと書きました。人間というのは結局、自分の両眼というカメラで世界を切り取って、自分という役者兼監督で物語を作り上げていく存在なんだろうと思います。

 世界には自分ではどうしようもない問題が腐るほどあるわけですが、それをどう切り取るかは自分次第。

 もちろん、世界を切り取る自分が世界によって形作られるという面もあります。世界をどう切り取るかはきっと個々人のトラウマやらなんやらが作用して決まるのでしょう。創作したものは世界の一部になります。だから創作には覚悟が必要なんです。

 じゃあ覚悟があればそれで十分かっていうとそんなことなくて、素晴らしい物語を紡ぐ能力は神の祝福のようなものに違いありません。

デッドエクスプロージョンエリー

 優太はプロット作りに悩んだ挙げ句、以下のような結論に達します。

 主人公の抱えている問題は、映画をバカにされたことではなく、母親の死を撮らなかったこと。愛する人の死を撮れば、ちゃんと生きようとまた映画を作る自信を貰える。

 なかなか面白くなりそうな話ですし、実際、優太は自分を馬鹿にした同級生たちをブチ泣かすことに成功します。優太がピースするコマでこの漫画が終わったとしてもそこそこの評価は得られたでしょう。

予定調和の罠

 しかし、よく読んでみると、これは絵梨が述べた『デッドエクスプロージョンマザー』の良かった所を否定するかのような話です。

 絵梨は病院から逃げる所が良かったと言っていたのですから。当然、復活した絵梨は以下のように述べます。

この映画

良い線いってるんだけど

惜しいトコあるの

恋人が死んで終わる映画って在り来りだから

後半に飛躍が欲しいかな…

 予定調和というのは恐ろしい魔物です。

 美しい物語ができた……ように見える。自分だけでなく、他の人に見せても褒めてくれるかもしれない。

 でも、綺麗に整理されていて良い形になっている、というだけでは心に残らない。正しいことしか書かれていない教科書のようで面白くない。同じパッケージが陳列された牛乳コーナーのようで目新しさがない!

 死んだと思った絵梨が復活する。ファンタジーのつもりで作った設定が本当だったという衝撃の事実とともに。これまで積み重ねてきた物語の結晶がそこにはある。

 なんて美しい物語なのでしょうか?

 ちょっと美しすぎます。

 だから爆破します。

絵梨は吸血鬼だったのではなく、映画に撮られたことで吸血鬼になった

 予定調和を破壊しなければならないのは分かるけど、爆発オチってどうなのよ?という疑問は残ります。

 ですが、こういう考え方もできます。本当は絵梨は吸血鬼でもなんでもなくて、映画の中に美しく記録されたために吸血鬼になってしまったのだと。

 より分かりやすい言い方をすると優太の中でいつまでも美しいままの絵梨が生き続けることになってしまった。本当はそんなに良いヤツでもなかったのに。いつまでも絵梨に囚われて編集をし続けるはめになってしまった。まるで呪いのように。

 優太が新しい人生を歩むために必要だったのは、美しい思い出と醜い現実をまとめて爆殺することだった……というのは理にかなっています。

 まあ、理にかなっていることより、見た目の面白さの方が大事ですが。

全部ウソなんですけどね

 この爆発オチの何が素晴らしいかって、ここで再び読者に映画は虚構であることを意識させることなんですよね。

 これがあるから読者はどこまでが現実でどこまでが映画の話なんだろう?という疑問の渦に投げ込まれることになります。それに答えが出るはずもないから、読者は楽しもうと思い続ける限り楽しむことができます。

 私は、最初から最後まで映画だったということで理解しています。優太も絵梨も存在しないし、優太の親父と大人になった優太の役者は一人二役だっていう。製作者は我々の知らないどっかの誰かなんでしょう。

「そんだったら、この漫画っていったいなんだったんだよ」って思う方もいるかもしれませんが、ふだん我々が目にしているあらゆる芸術はそういうものだったりします。

 『スター・ウォーズ』を作ってるのはルーク・スカイウォーカーともダースベイダーとも関係のないただのヒゲモジャのおっさんだし、『ドラゴンボール』を描いたのも孫悟空ベジータとはなんら関係のないめんどくさがりのおっさんです。

 そういうのは意識したくない、それじゃ面白くない、というのであれば別の説を取ればよい。それがこの漫画の良いところで、絵梨の次のセリフが的確に言い表しています。

どこまでが事実か創作かわからない所も私には良い混乱だった

 

 というわけで、「タツキの漫画っ超っ~!面白かった」と思った私は、『ファイアパンチ』を全巻買いました。読みました。

 めちゃくちゃ似てるぅ~。

 『ファイアパンチ』のベストアルバムが『さよなら絵梨』ってところかな?

ベイブレードは回るよいつまでも

「めたたぬきさん、私、四月からうどん県の方に派遣されることになりまして」

 もうすぐ四月になろうかというのに、真冬のような冷たい風が吹く日のことだった。

 同期入社の女子が珍しく話しかけてきた。

「どうやら百年くらいあっちに行ったままみたいなんです」

「百年も? 長いですね」

「それから私事なんですが、このたび結婚しまして。苗字が狸蕎麦から狐饂飩に変わるんです」

「そうなんですね。分かりました」

 会話はそれで終わった。「おめでとうございます」という言葉が出なかったのは、会話が下手だからか、驚きのためか、嫉妬のためか……。そのどれもか。

 久々に間近で見る彼女は相変わらず綺麗だった。マスクをしているからなおさらだった。(狸蕎麦さん、かわいいな~……)と見惚れていたら結婚報告を受けていた。

 

 それから数日。朝の通勤電車に、スーツに身を包んだ若い女性が緊張の面持ちで座っていた。もしかしたら、我が社の新入社員かもしれない。ここらへんは田舎だから職場は限られている。

 月下美人のようだ、と思った。女性のスーツ姿は美しい。にも関わらず、研修期間がすぎると間もなくカジュアルな服装に移行する社員が多い。もちろんカジュアルにはカジュアルの良さがあるのだけれど、スーツスタイルはこの時期にしか拝めない。一夜しか咲かない月下美人の花のように、一秒一秒を尊いものとして噛みしめる必要がある。もてない男の助平心がそう叫んでいた。

 

 陳腐な言い回しだが、春は出会いと別れの季節だ。

 新入社員を受け入れる社員は、みな心に傷を負っている。

 会社に失望して新天地へ飛び立っていく同年代を見送って、取り残されたような気分になる。理解できない人事異動による不安に襲われ、心身の病でボロボロになった先輩の背中に未来の自分を重ねてしまう。

 それでも、いや、だからこそ、新入社員を見るその目には期待が宿る。何かを変えて欲しいと願っているわけではない。悪い方向に変わりさえしなければいい。ただ、窓から吹き込む春風のように癒やしをもたらしてはくれないだろうか。

 それはささやかなようで重すぎる期待かもしれない。

 

 会社の最寄り駅に近づくと、月下美人がまだ硬そうな鞄からゴソゴソとなにかを取り出し始めた。

 俺は目を疑った。それはベイブレードだったのだ。久しく見ていなかったから一瞬なにか分からなかったが、記憶の奥底に沈んでいたベイブレードの形とそれが一致した。

「ヴァルキリー! 俺たち世界一のベイブレーダーになってやろうぜ!」

 マスク越しに漏れてきた、その小さな声を俺は聞き逃さなかった。

 その瞬間、堰を切ったように記憶が溢れ出してきた。

 そうか。この新年度の高揚感は、ベイブレードに似ているのだ。

 

 ベイブレードは現代版のベーゴマだ。

 コマを回し、相手のコマを弾き飛ばしてスタジアムの外に出すか、最後まで回っていた方の勝ちというルールは変わらない。

 進化したのはコマだ。ベイブレードは上から順にレイヤー・ディスク・ドライバーで構成されており、この組み合わせによって自分だけのベイブレードを作ることができる。

 ベイブレードはその特性に応じて4つのタイプに分類される。アタックタイプ、ディフェンスタイプ、スタミナタイプ、バランスタイプだ。

 アタックタイプは相手のコマを弾き飛ばす、あるいは破壊することを得意とするコマをいう。長く回ることはできないから長期戦に持ち込まれると不利だ。

 ディフェンスタイプは相手の攻撃から身を守ることに特化したコマのことだ。最後まで回ることが目標になるが、スタミナタイプほど長くは回れない。

 スタミナタイプは長く回ることに特化したコマだが、攻撃には弱い。

 バランスタイプは良く言えば上記三つの良いとこ取りであり、悪く言えば特に強みもないコマだ。

 つまり、アタックタイプはスタミナタイプに強い、ディフェンスタイプはアタックタイプに強い、スタミナタイプはディフェンスタイプに強い、という三すくみになっており、最強のベイブレードというものは存在しないとされている。

 この制約のもと、ベイブレーダーは相手に勝つための戦略を立てる。自分だけのベイブレード哲学を胸に抱いて。

 俺も小学生の頃、友達とベイをぶつけ合って楽しんだものだ。家で一人、最強のベイブレードを考えるのも楽しかった。負けた悔しさを晴らすため努力して、勝てた時の喜びはこの上ないものだった。

 

 これはプロスポーツのチーム編成や企業の人事戦略に似ている。

 たいていの組織は最強の人材だけで構成された最強のチームを作ることができない。それには膨大な金がかかるからだ。

 限られた予算の中で、応募者から自社に最適な人材を見出し、それを的確に配置する。完全無欠な編成など現実的には存在しない。否応なしに、組織がどうなりたいかという哲学がチーム編成に反映されることになる。

 低成長でも社員のクオリティ・オブ・ライフを重視するのか、過酷な労働をしてでも高成長を目指すのか。スペシャリストを育てるのか、ジェネラリストを育てるのか。それとも、哲学を持たず暗闇の中でさ迷っているのか……。

 

 駅を出ると、一面の桜が咲いていた。

 俺は高鳴る胸に問いかけた。

(ラグナルク……お前は俺の心の中で今も回り続けているのか……?)

 一陣の風が吹いた。桜の花びらが舞った。

 どこからかベイのぶつかる音が聞こえた気がした。

 

※この物語はフィクションであり、実在の人物や団体などとは関係がありません。